4月14日(金曜日)

Guppy   2006年4月14日   4月14日(金曜日) はコメントを受け付けていません

天気「少々の雨にも負けず咲き誇る」

月曜日に大学へ行ったっきりだったので、もしかして退学するのか心配だったが、パパの言葉に従って今日まで何も喋らなかったら、今日は朝一からご飯も食べずに大学へ行った。でもお昼には帰ってきてラーメンを食べてからのんびりゲームをしているのを見たら、今日の奨学金の説明会には行かないかもしれないと不安に陥った。あまりの不安に耐えきれなくて、とにかく今は私に出来る事をしようと思い、年金を郵便局の口座から学費専用に作った口座へ移動させに出掛けた。帰っても息子が居たらどうしようと不安に思いながら帰ってきたら、息子のデッキシューズが無かったのでホッと一安心した。帰りはパパと一緒だったので、聞いたら息子からパパへお迎えの要請があったらしい。その帰り道に聞いた説明会の話を、買い物に行く時に教えてくれたが全然理解出来なかった。説明会に行ったのだからもう退学はしないだろうと思い、夕食後安心しておしゃべりをしていたら、またパパから注意された。「お金が無い」って言うなって。それを言うと「だったら大学やめる」とまた息子は言い出すからって。そう、それで何度失敗した事か。(涙)普通に思った事がしゃべれないって、こんなに辛いとは思わなかった。こんな状態、いったいいつまで続くのだろう。私、耐えられるかなあ。

今日も1週間ぶりにシャワーを浴びた。体重は67.5キロ。70キロだったのを、やっとここまで落とした。ダイエットノートはつけている。後、どうすれば65キロを切る事が出来るのだろう。ウォーキングはパパ、反対しているし…。

4月11日(火曜日)

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天気「春雨やどうか花びら散らせずに」

私は今聞いた事も、自分が喋った内容もすぐ忘れてしまう。これはお薬の副作用だと思うが、家族は「そんなはずない」と言って信じてくれない。同じ事を何度も言われなくちゃ覚えられないって言っているのに…。それで、昨日は夕方息子が帰ってきて大学の奨学金の話をしてきたので、それを聞いていて本人が奨学金の手続きしてくれそうな感じだったのでこれは上手くいきそうだなあと思っていて喜んでいたところへ、ちょうどパパが帰ってきたから思わず舌打ちしてしまった。案の定、パパが加わったら話はとんでもない方向へいってしまった。冒頭書いた通り、言い合いしているうちに私は自分が喋った事も聞いた事もすぐ忘れてしまい、いつの間にか私が息子を大学に行かせない様に仕向けていると、またパパと息子に思われてしまった。お陰で、息子からは「ババア」とか「嘘つき」とか「二枚舌」とか言われ、発病前に兄嫁が言っていると兄から聞かされた時のショックを思い出した。(涙)

私は嘘などついていない。ただ、息子が行きたがっている学校へ行かせてやりたいとパパは言っていたはずなのに、何故今度は本人が行きたくないと言っているのに大学へ無理矢理行かそうとしているのかがわからないだけなのだ。矛盾していないか。夢に向かって進めと言うのならとことんそう言えば良いのに、何故突然、方向転換して「ラーメン屋にでもなって自分で飯食える様になれ」と言うのか…。それなら4年生の時に就職活動すれば良かったのに。高専にいる間に任天○へ就職が決まった子もいるのだ。飯食うだけなら高専からの就職率は100%なのだから何なとあっただろうに…。

私が気になって気になってしょうがないのは、大学へ入学したのだから次は高専時代に受けた奨学金の返済猶予の手続き。そして年金の「学生納付特例」の手続き。それと大学での奨学金の申請手続き。この三つはどれも4月中にしなければならない。それで私は焦っているのだ。息子が忘れてしまいそうで…。昨日の話だと編入組で奨学金を申請するのは息子だけだと言っていた。そして「恥ずかしい」とも…。だからボンボン学校だとあれほど言ったのに。

私自身はどう思っているか。私は折角入ったのだから卒業まで行って欲しい。中退は反対である。ただし、ずーっと行きたいと言っていた会社に就職が決まった場合は中退も仕方なしと思っている。それ以外の理由で中退するのは、必ず後で後悔するから反対だ。実際、私も中退した後で就職活動した時後悔したもん。だから私と同じ思いをさせたくないから…と、こういう事を話したかったのだが2人とも私が話そうとしても話させてくれないから、覚えているうちにここに書き残しておく。

4月 7日(金曜日)

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天気「天気良し桜の蕾みふくらんで」

朝っぱらから息子と口論になった。「奨学金の手続きの用紙もらってきて」とちょっと言ったら、「奨学金を受けてまで大学には行きたくない」と言ってきた。困った私は救いを求める様にパパに電話しようとした。そうしたら「もうすぐ仕事の時間やねんから邪魔すんな」と怒って私を止めた。私だって「大学には行きたくない」と言われなかったら、パパに電話しようなんて思わなかったよー。結局お昼ご飯の時に電話して、後はパパが話してくれると言ってくれた。ほー、良かった。あいつは私の言う事は聞かないが、パパの言う事はよく聞くから。

カマを飲み続けて6日間、やっとお通じが出た。朝昼晩と医者の言う通り飲み続けたからだ。これからも続けないと…。~と思ってみたら夜になって、晩ご飯を食べてお薬飲んだら、ひどい下痢になってしまいました。それも2度も。ほとんど水に近いです。また飲むのひかえます。これからも、こんなんの繰り返しかなあ。あ~あ。

今日は1週間ぶりにシャワーを浴びた。体重66.5キロ。昨夜息子が夕食を食べずに寝てしまったので、残ったご飯でおにぎりを作っておいて朝から代わりに食べていたせいかなー。

先週の診察の時、前回言い忘れた事を言った。「息子が怖い」と。あんな性格だとそのうち私は殺されるのではないかと思ったから。詳しい事は3/6の日記を読んでみて。あんな恐怖心は初めて味わった。ショックだったよー。(涙)でも、大学や郵便局との電話のやり取りを聞いていたら、ホントもう大人になったんだなーとしみじみ思った。本人曰く「ゲームをせずにはいられないほどストレスを受けるのはお母さんのせいだ」と言われた。ゴメンよー。そんなつもりはないんだよ。それだけはわかって欲しい。

4月 6日(木曜日)

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天気「春うららー外はまだまだ寒いけど」

いつも通院の時に使っていたスヌ-ピーのデカバッグのファスナーが、とうとう壊れてしまった。丸7年、ずーっとお供だったにー。(涙)買ったのはいつだったのだろう。思い出せない。とにかく息子が産まれた時にはもう有ったと思う。そのバッグにミルクやおむつを入れてどこへでも出掛けていたから。パパが言うには結婚前から持っていたそうだ。どちらにせよ、20年以上使っている。もうお役ご免にしても良いよね。ご苦労様でした。

さてと、私はバッグは夏用に白のセカンド兼ショルダーバッグを、フォーマルその他用に黒のセカンド兼ショルダー兼ハンドバッグの二つしか持っていないので、どうしても普段使い用のバッグがもう一つ必要なのだが、私は身に付ける物は最低限持ってさえいれば満足するタイプだから、なかなか新しいのを買う機会がなかった。さてこの度、その普段使い用のデカバッグが壊れたので代用品がないか、うち中のバッグを調べたが出てくるのは男が持つ様な物ばかり。何せ息子1人しかいないから、やれ体操服用にとか合宿用にとか海外への修学旅行用にとか、息子の好みでその度に買ってきたから仕方がないんだけれど…。そんな中、一つだけ私が気になっていた肩掛けのズタ袋バッグが有るのだが、20才の頃は似た様なバッグを肩から掛けて悦に入っていた私、でも寄る年並には勝てず似合わなかった。ショックー。遠足の時のリュックサック(登山メーカーの物)なんか私がでかでかとフルネームを書いたせいで、もう恥ずかしくて使わないと断言したので今は避難用リュックサックになっているし…。勿体無いからと、息子が中学の家庭科で作ったズタ袋を使おうとしたら、息子から恥ずかしいから捨ててくれと言われた。やはり買うしかないだろうな。

というわけで、今日はパパが通販のカタログにバッグが出ているからと事務員さんから借りてきてくれた。でももう夏物のカタログなのでエスニック調の物ばかりで、一年中使えそうな物は三つしかなかった。そのうち二つはスヌ-ピーのデカバッグよりでかいトートバッグ(そうそう、「トート」って運ぶ、荷物っていう意味なんだって)で、通院と買い物の時にしか使わないからそんな大きい物は要らないとパパが却下した。何せお財布とお薬の袋が入れば良いのだから。

あら、不思議。私ってば、いつの間にかカタログ雑誌を見ている。雑誌を見るなんて7年ぶり?やっぱ少しずつ良くなっていってるんだなあ。

4月 3日(月曜日)

Guppy   2006年4月3日   4月 3日(月曜日) はコメントを受け付けていません

天気「春雨に入学式へ行く息子」

昨夜久し振りに夫婦喧嘩になった。パパが先生に「ここのところ喧嘩は無い」と言ったばかりなのに…。(涙)パパとは毎回一緒に買い物にまわっているので、パパの頭の中には献立のイメージがあるみたい。ところが「今日は息子の好きなわかめの味噌汁にする」と私が言ったのに、ちょっと思い付いてネギの青いところと白いところの境目を小口切りにして味噌汁に入れたら、ご飯を残してまた寝室へ行ってしまった。何でこうなるの、ピョコン。(←コント55号のまね、古いねえ)

仕方が無いのでまた寝室へ追っかけて行ったら、「わかめの味噌汁と言っていたからそう想像していたのに、その自分のイメージと合わなかった」…という事が判明した。典型的なA型だねえ。その上、私が「男の癖に黙って出されたものを食べれば良いんだ」と言ったのが、しゃくにさわったみたい。重ねて「昔の実家は誰も食事に文句言う人はいなかった」と言ったからもう大変。「食事を作る手伝いを俺はしたけれど、実家の男共はしたのか」「俺は手伝ったけれど、実家でも手伝いをして口ははさまなかったのか」と言うので、「男子厨房に入らずで手伝いはしなかったけれど…」とモゴモゴ返事していたら、疲れたせいか急に眠くなり急いで流しの洗い物をして、また寝室へ行った。そして寝ているパパを起こしてまた少し話して、そのまま寝てしまった。パパはパソコンも電気もつけっぱなしで薬も飲まずに寝ようとする私に、全部消して薬と飲み物を持ってきたので、それを飲んでぐっすり寝た。

パパに「私の性格を知っていて結婚したのではなかったのか」と言ったら、「そんなもん考えもしなかった」という答えが帰ってきた。呆れたもんだ。私は、実家の祖母に何であの人と結婚するのかと何度も聞かれたから、「私はパパの事を、多分いざという時は守ってくれる人だと思ったから、と答えていた」と言ったら、「その通りや」とパパは言った。本当にあの頃は、何度もそう言いながら私は自分に言い聞かせていたのだ。結婚は賭けに近いと思う。そう言いながらも、私自身不安だったから。でも私がこんな病気になっても別れもせずに守ってくれる今のパパを見たら、大正解だったとつくづく思う。

今日は息子の入学式だ。晴れて大学の3年生になる。それにしても入学式へ行くのにタクシーをすすめる父親、そんな方法教えてどうするねん。車の免許を取らないと言っている息子にそんな楽を覚えさせて、どこまで甘やかしたら気がすむのだろう。車の免許を取らないのなら、バス、電車をとことん利用するべきだと私は思う。それが身に付いたら念願の東京でも暮らせるはずだから。