9月11日(日曜日)

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天気「まだ夏日?外は暑くてたまらない」

今日は祖母が亡くなって1ヶ月。長ーい長ーい1ヶ月でした。「祖母をしのぼう月間」も残すところ後18日になりました。

私が今のこの家へ引っ越した時、祖母には黙っていました。父の見舞いに行っているのも内緒だったし、その事で兄弟ともめているのも内緒だったので、何故引っ越すのか理由がありませんでしたから。ところが、祖母のしつこい性格が、近所に住んでいたパパの弟の所へ向けられたので、義弟から苦情が出て、仕方なくここの住所を伝えてもらいました。

それからは、タクシーに乗って来るのですが、家の前で大声で名前を連呼するので恥ずかしくて恥ずかしくて。何度かそうやって来ていたのですが、私が帰りのタクシーを呼べなくて、それで表通りでタクシーが来るのを待っているのが大変だったのでしょう。そのうち電話番号を教える様に言われました。そうしたら、毎日の様に電話がかかる様になって、毎回「出られない」と家族に言ってもらうのも家族に迷惑をかけている様な気がして、時々は私が電話口に出るのですが、そうすると「あんたは母親なんだからしっかりしいや」とばかり言われるせいか、電話を切ったあと全身がぶるぶる震えてご飯も食べられなくなるのです。やがて骨折で入院したとかで電話はかからなくなりました。この時は、確かパパが見舞いに行って、私は車の中で待っていた様な気がします。それから祖母に会ったのはリハビリの病院へ移った時と、ホームへ入所した後に何回か面会に行った時だけでした。いっぱいお世話になったのに、自分の事で精一杯で、ホント私って冷たいのかもしれません。人生、やり直しが出来るのなら、もう一度1からやり直したいです。

今日は、1日調子が悪かったです。朝からパパと言い合いになって、自分の言った事やらパパが言った事やら記憶がグッチャグッチャになって、パパが「今度先生に検査してもらおう、だからメモっておけ」と言うので、ここに書いておきます。

9月10日(土曜日)

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天気「朝曇り昼から晴れて残念だ」

昨夜1時就寝。3時半と4時半に中途覚醒。6時起床。早く寝るといつもこんな感じです。きっと、今日のお出掛けに寝坊で行けなくなったらと思い、眠れなかったのかもしれません。せっかく早起きしたのに結局は連れて行ってくれませんでした。高遠はETCを使っても高速代が半額になるだけで高く、またガソリン代も必要なので無理。20年前に連れて行ってくれると約束した中山道馬籠宿も同様。道の駅巡りもガソリン代高くつき、世の中お金が無いと何にも出来ないんですね。はぁ orz

そうそう、先日祖母の実家から返された着物で長のれんでも作ろうかなと思ったのですが…。だって、座布団カバーにすると洗濯出来ないし、どうせシミだらけの着物など他に役には立たないだろうと思って。でも、あの柄で長のれんを作ると、まるで花嫁のれんみたいになってしまわないだろうか、それは普通の生活では不釣り合いでとても使えない。そうだ、私専用のクッションを作るとか?韓国ドラマみたいに長方形のでかい奴…と悩んでいたら、横から「形見なんだからそのまんま(タンスの)肥やしにしたら」と言われました。今、とても縫い縫いする気にはなれないし、第一苦手だし、まあそれも良いかなと思い、元通りにたたみ直してタンスに片付けました。

着物は年に3回、正月のお弾き初め、文化祭、発表会で着ていました。お箏は祖母の夢だったのです。私が舞台で、祖母の見立てで作らせた着物を着て、お箏を弾いているのを見るのが祖母の楽しみだったんでしょうね。私は嫌々やっていたので、終わるととっとと着物を脱ぎ捨て、遊びに行ってました(苦笑)。ですから、着物の管理は全て祖母がやっていたので、未だにたたみ方すら知りません。

9月 9日(金曜日)

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天気「雨上がり今日はすずしく秋の空」

私が帰って来てから発病するまでの7年間、祖母は80代でしたが、その年になってもまだ、兄嫁とケンカするとは自分の実家へ帰っていました。親兄弟はすでに亡くなって、もう居ないというのにまだお泊まりして。何も言わずに受け入れてくれる自分の兄嫁とその娘さん夫婦のお蔭だという事には全く気が付かなかった様です。普通、その年になったら何があっても実家には帰りませんよね。代替わりしていますしね。

ある日、珍しく夜になって家へ来るのでどうしたのか聞いてみたら、また兄嫁とケンカしたらしく、その勢いで家を飛び出して来たそうです。乳母車も杖も無しで(笑)。取りあえず兄が心配しているといけないので、実家に電話しました。まあケンカは両成敗だったそうですが、このまま帰すと居心地が悪いだろうから一晩だけあずかると伝えました。でも、家に居てもご飯も食べないので、奥の部屋に布団を敷いて早々に休んでもらいました。夜もあまり眠れなかったのか、翌日の昼前に起きて来て「帰る」と言って何も食べずに帰って行きました。あの時はもっと吐いてスッキリするくらい愚痴を聞いてあげれば良かったと、今になって思います。もう遅いですけどね。

さて、今日の晩ご飯は韓国ドラマで有名な「トッポッキ(トッポギ)」です。この日記をずっと読んで来た方はもうご存知ですよね。「トッ」はトックのトッ、つまりお餅ですね。では「ポッキ」は?「炒める」という意味だそうです。今日はパパと一緒に3分クッキングです。どんな味になるのか楽しみです。

9月 8日(木曜日)

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天気「心地良し雲一つ無い青い空」

ここまで来てもう書く事が無くなってしまいました。ふと、外の空をながめていると祖母の事が頭をよぎりました。あの時、もっとこうしてあげれば良かったのかなあとか、こうしてあげていたら良かったのかなあとか。

私が知っている最後の祖母の姿は、茶の間に居た祖母をさける様に、自分の分だけお昼ご飯を作って、2階へ行って食べていた兄嫁に対して愚痴を言う祖母に、「じゃあ試しにおばあちゃんが自分の部屋でご飯を食べてみたら。それでも2階で食べていたらおばあちゃんのせいじゃないから」と言ったところ、即、兄嫁は茶の間でご飯を食べる様になったとか。そして、そのまま祖母は茶の間におりにくくなって自室にこもる様になりました。元気な時は私の家へ来て自分家の様にゴロッと横になっていましたが、こもる様になってきてからは滅多に出歩く事も無くなりました。

ある時、電話がかかって来て、行ってみると「食事が作れなくて何も食べていないので点滴を受けに行きたい」と言うのでタクシーの手配をしました。そして、兄嫁へその事を書いたメモをテーブルに置き、ソファーで寝ていた甥に「お母さんが帰って来たらメモを読んでもらって」と声をかけて帰って来ました。そしてしばらくして兄嫁から電話がありました。何か、物凄くどなっていた様ですが意味はわかりませんでした。今から思うと一緒に病院までついていった方が良かったのかもしれません。その時はうちも晩ご飯を作る時間だったので、「1人で行ける」という言葉を信じて1人で行かせたのですが、それが兄嫁の逆鱗に触れたのかもしれません。後日、用事で兄嫁が家へ来た時、私は何事も無かったかの様に接しました。ケンカはしたくなかったので。でも、どっちも顔がこわばっていました(苦笑)。

それから間もなく父の見舞いに行った時、兄から兄嫁が私の事を「二枚舌」と言っていると聞きました。謝る様に言われたので、カッときて私は兄に「誤解する奴には勝手に誤解させとけば良い!!(だったかな?)」と言い返しました。その2日後、私は発狂しました。

<追記>詳しくは2000年5月20~21日の日記をご覧下さい。

9月 7日(水曜日)

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天気「蒸し暑い天気は良いが引きこもり」

今日は、これまでの祖母とのかかわりの中で抜け落ちた真実を一つ。

これは20才になった頃のちょうどデパート勤務をしていた頃です。私は靴売り場にいて、隣りの写真屋さんへ毎日来ていた本店の方とお付き合いをしていました。まだ家出前のお話です。私は仕事は半年しか続かなかったのですが、その後は、彼が仕事であちこち回っていた車に乗せてもらってドライブしたり、他所の支店へ勤務の日はそちらまで押し掛けたりして。何せ、暇だったものですから(苦笑)。

彼は美大出身だったのですが、カメラ屋さんにいるのはもったいないと、その技術を生かした仕事についたらどうかとつついたら、本当にカメラ屋さんを辞めて着物の反物の絵を描く所に就職しました。

彼とは真剣に結婚を考えていました。まだウブでしたからね、恋愛=結婚と。デートした日はいつも家の近所まで送ってくれて。彼の家は駅前で小さな飲み屋をしていました。そこで母1人子1人の家庭で彼は育ちました。いとこだけが彼の親友だったそうです。

ある日のこと、真面目な彼は、私には内緒で私の母に会いに行ったそうです。「結婚を前提にお付き合いをしたい」と。でも、母はT氏と一緒に鼻で笑って「私生児と?とんでもない」と言って追い返されたそうです。で、お母さんと相談したのか、ある日突然「結婚は止めて親友になろう」と言われました。男女の仲で親友とか友達とか、そういうのは出来るもんじゃないと、考え直して欲しいと言ったのですが、彼の意思を変える事は出来ませんでした。

一方、彼の自宅の電話番号を知っていた祖母はそんな事とはつゆ知らず、夜遊びでなかなかつかまらない私を、早く帰る様言って聞かせて欲しいと頼んでいたらしく?何回か、行きつけのジャズ喫茶から定期的に彼へ電話をした覚えがあります。その後、家出したのをきっかけに電話をするのは止めました。そしてデパート内のカメラ屋さんに伝言をたくして、後日、彼と喫茶店で会いました。「おばあちゃんが心配しているから帰ろう」と言われましたが、私は私を振った彼のプライドを傷付ける為に、わざと「ここは私が今一緒に住んでいる人が働いているお店」と、カウンターの中に居る新しい彼を紹介しました。そのとたん、彼の落ち着き払った姿が一変して、顔つきも顔色も変わり椅子を蹴って店から出て行ってしまいました。それっきり。今は名前も思い出せません。