9月 6日(火曜日)

Guppy   2011年9月6日   9月 6日(火曜日) はコメントを受け付けていません

天気「天気良し風が涼しくドライブ日和」

というわけで、このお見合いをしていた頃は夜遊びはしませんでしたが、昼遊びはいっぱいしていました。二股三股は当たり前で。年上の方が多かったと思います(苦笑)。

でも、ショックを受けてからは生き方が変わりました。もういっさい遊ばないと心に決めたので。そんな時、ピアノ教師の仕事を兄嫁から持ち掛けられて、本当は荷が重過ぎて、したくなかったのですが、どうしても兄嫁だと断れなくて、ついつい引き受けてしまいました。でも、その時すでに結婚したら仕事は辞めるつもりでいました。だから引き継ぎの時にはあいまいな返事でごまかして。結局、子供が出来て流産になりそうという事で入院したのをきっかけに、ようやく辞める事が出来ました。ホッ。

そして翌年、帝王切開で子供を出産した私を迎えに来てくれたのは、パパと祖母だけでした。実家へ行っても離れでひっそりと過ごして、祖母がオムツを洗って部屋へ届けてくれていたのですが、それを知った兄嫁が何故自分でしないのかと言ったそうで、居心地が悪くて1週間で自宅に戻りました。この時、親の居ない不自由さを初めて味わいました。

<追記>実はこの頃の記憶が未だに思い出せなくて、発病した時に記憶喪失になったままなのです。他は芋づる式に記憶が出て来たりするのですが、この時代だけは全く思い出せません。何故かはわかりませんが。医者は「無理して思い出さなくて良い」と言って下さっていますし、私もそのつもりなので、今日の日記は話半分に読んで下さい。よろしくぅ!!

<追記その2>遅くなりましたが、シャワーを浴びました。体重は61.1キロでした。ではもう寝ます。お休みなさい。

<追記その3>この日は管理人のパパが仕事休みで本当に良かったです。私1人じゃ荒れそうな雰囲気の掲示板を瞬時に一掃する事は出来なかったでしょう。パパ、ありがとうね。

9月 5日(月曜日)

Guppy   2011年9月5日   9月 5日(月曜日) はコメントを受け付けていません

天気「今日もまた雨が降りますシトシトと」

ショックがほぼ回復した頃、祖母はあちこちに頼んで私の見合い話を持って来ました。家柄も似た様な家の人ばかり。本人は独身貴族を味わっているのに親が結婚をすすめるパターンが多かったですね。

何回お見合いしたかなあ。月に1度はしていたと思います。お見合いする前は必ず洋服を買ってもらえるので、それが楽しみでお見合いをしていました。あと、食事も(笑)。祖母が一緒の時は、いずれ祖母の様にお上品になるだろうと、そこが気に入られてイエスのお返事をもらいました。でも、私は普段の祖母を知っているので(苦笑)、そういう人にはお断りの返事をしました。

またある時は、父親と義理の母親にとても気に入られたのですが、本人が「ウン」と言わないらしく義理の母親と親子げんかになって、そのけんかの最中にお断りの電話がかかって来た事もあります。その時は、すぐにお仲人さんから取りなしの電話を頂戴しましたが、私はそんな親子げんかに巻き込まれるのはゴメンだったので、丁重にお断りしました。その家はとても祖母が残念がっていましたね。

そうやって一年近く断り続けていたら、うちみたいに親のいない娘にもう見合い話は無いと言われました。けっこうショックでしたね。別に親がいなくても困る様な事は無かったので、そう言われるまで気が付きませんでしたから。ま、それも祖母のおかげでしょうね。ありがたやー、ありがたやー。

9月 4日(日曜日)

Guppy   2011年9月4日   9月 4日(日曜日) はコメントを受け付けていません

天気「助かった台風それて今日は雨」

はい、今日は昨日の続きです。

失踪した彼からは何の連絡も無く、彼の親がただ「破談にする」と言うばかりで、私が部屋を出て行くまで息子は戻らないと言われました。突然の破談の理由は「相性を調べてもらったら合わなかったので」と言われました。仕方無く、実家の兄に「帰っても良いか」と電話したらすぐに荷物を運んでくれて、約1年ぶりに実家へと帰って来ました。(この時の兄には本当に感謝しています)

さすがの私もそれから半年くらいは立ち直れませんでした。そんな私を連れて祖母はお仲人さんに謝りに行ったり、吉方位を調べてもらってその方角の神社へ毎日兄の運転でお参りに行ったり、私が出た後、部屋へ戻っていた彼に「子供が出来ていたら責任取ってくれるんでしょうね」とおどしをかけたりの大忙しでした(爆)。これは後になってわかった事ですが、式場のキャンセルは彼の妹が私の名をかたってしたそうです。そこにどんな意味があるのかよくわかりませんが。一方祖母はというと、私が破談になったのは、私が家出している間に閉め出しをくらった母が、愛人T氏と彼の実家へ行ったからだとずっと信じていました。真偽のほどはわかりませんが。

ここで、母の愛人T氏を紹介します。何と、T氏は私の婚約者の父親であり、その婚約者が別の女性と出来ちゃった結婚したのちは、私の戸籍上の養父でもありました。これは私が家出する前の話ですが、母とT氏の不倫疑惑の噂がたっていたので、それをふっしょくする為のいわば偽装ですね。養子縁組は家裁でしましたが、家裁の人はT氏に「養子にすると財産が減りますよ。良いんですか」と言っていました。まるで私がT氏をだまそうとしているみたいに。この時ばかりはムッときましたね。その後、「1年だけ」という約束を守ってくれなかったので、毎日祖母がT氏に突っかかって、ようやく養子縁組を取り消す事が出来ました。祖母にはいくら感謝してもしきれないぐらいお世話になりました。祖母無くして今日の私は無かったと思います。改めて、おばあちゃん、ありがとう。<(_ _)>

9月 3日(土曜日)

Guppy   2011年9月3日   9月 3日(土曜日) はコメントを受け付けていません

天気「雨降って台風近し早よ帰れ」

さて、祖母のおかげで助かった私は、ミュージックスクールへ行こうと、ボックス席が1個で後はカウンターだけの小さなクラブで一所懸命働きました。カウンターの中でお客さんとお喋りしたりお酒をついだり一緒にカラオケを歌ったりして、月に30万はかせいでいました。それで家賃は2万5千円。キーボードのアンプのせいで電気代は高かったですが、1日の食費はハンバーガー1個と、毎日の気分直しにカラオケバーで水割り一杯だけ。お蔭でみるみるうちに貯金がたまっていきました。

で、そろそろお金もたまったことだしアルバイトは辞めようかなと思った頃に、そのカラオケバーで知り合った人と、酔っていたのでしょうか、電話番号の交換をしていたらしいのです。と言うのも、全然覚えていなかったので。数週間後、アパートに電話がかかって来て初めて知りました(爆)。そこで、どんなやりとりがあったのかはこれもまた覚えていませんが、結果、彼のアパートで同棲生活を送る事になりました。

同棲がバレたのは早かったですね。彼のお母さんからの電話にうっかり私が出てしまったからです。それで、まずは結納の日取りを決める為にと、彼の父親がお酒を持って私の実家へ来ました。お正月には実家に彼を呼んで兄夫婦とトランプしたり、翌日には彼の実家へ泊まりがけで行って獅子舞を見たり。式場もお仲人さんもあちらが決め、後は私がエンゲージリングを決めるだけとなった時、突然彼が失踪しました。

<追記>今日は診察日でした。開口一番「ジプレキサで太った!!」と言ったら、すかさずパパが「食べ過ぎです!」とちくりました。で、どうしても気になったお葬式に出なかった事は「いや、行かんで良い」と言ってくれました。ついでに、祖母の実家のおばさんに呼ばれて会った事も、「おばさんは直接顔を見て手渡したかったろうし、それで良いんじゃない、大勢の居る所じゃなかったんだし」と言ってくれました。ホッとしました。

<追記その2>パパの弟が自分の店を出しました。繁盛したら良いなと思いつつ、お祝いのフルーツカゴ盛りを持って行きました。夜の繁華街を歩くのは28年ぶりでしょうか。懐かしさよりはチョット怖かったです。

9月 2日(金曜日)

Guppy   2011年9月2日   9月 2日(金曜日) はコメントを受け付けていません

天気「上向いて何かはっきりしない空」

あの時はかなわなかったですねぇ。私がちょうど夜中の1時過ぎでしょうか、帰宅したら祖母が警察に電話していたところだったんです。で、電話を代わると少し説教をされました。その声はとても優しくて温かい声でした。祖母のキンキン声とは全く逆でした。それでちょっと反省しかかった時、また祖母のキンキン声を聞いて、それで反省はまたの機会という事に(爆)。今度は朝まで帰らない事にしました。

当時は、男女を問わず1人暮らしの人が多かったので、寝る所に困るという事はありませんでした。それに、明方まで遊ぶ事もあったし、海辺なんぞへ行って、楽しかったなあ、あの頃は。ま、そういう生活をしていて、それである時、珍しく私が帰るコールをしたら祖母と喧嘩になっちゃって、それでそのまま「もう帰らない」と宣言して電話を切りました。でも、その日は泊めてくれる友人が見つからなくて、それで唯一泊めてくれた人の所へそのまま転がり込んでしまいました。何日かして電話をすると兄が部屋に訪ねて来ました。整理整頓の出来ない主だったので、足の踏み場の無い部屋でちょっと恥ずかしかったです。その後、母や祖母とかとホテルの一室で話をしましたが、兄嫁が嫁に来たからこうなったと全て兄嫁のせいにして、違うと何度言っても聞いてくれなかったので、それっきり家出続行となりました(8/25の日記参照)。

ま、この時の彼氏には大阪に戸籍上の妻が居て、新潟には内縁の妻が居てと後になってわかり、ほんの数ヶ月で私を捨てて新潟へ帰って行きました。傷心した私を友人達が助けてくれて、女子専用のアパートへ引越しまでしてくれました。そして、当時そこに住んでいた友人は、毎日共同トイレに行く度に部屋へ寄って行ってくれて、物凄く精神的に助けてもらいました。それから引越しを知った祖母が、お寺参りに前を通るからと毎日来る様になりました。この時の祖母はもう私を責める事無く普通に話をして帰って行くというパターンだったので、私も普通に接する事が出来ました。そして元気になった私はクラブへアルバイトに行く様になりました。その頃の話が8月26日の日記へとつながるのでした。