天気「心地良し雲一つ無い青い空」
ここまで来てもう書く事が無くなってしまいました。ふと、外の空をながめていると祖母の事が頭をよぎりました。あの時、もっとこうしてあげれば良かったのかなあとか、こうしてあげていたら良かったのかなあとか。
私が知っている最後の祖母の姿は、茶の間に居た祖母をさける様に、自分の分だけお昼ご飯を作って、2階へ行って食べていた兄嫁に対して愚痴を言う祖母に、「じゃあ試しにおばあちゃんが自分の部屋でご飯を食べてみたら。それでも2階で食べていたらおばあちゃんのせいじゃないから」と言ったところ、即、兄嫁は茶の間でご飯を食べる様になったとか。そして、そのまま祖母は茶の間におりにくくなって自室にこもる様になりました。元気な時は私の家へ来て自分家の様にゴロッと横になっていましたが、こもる様になってきてからは滅多に出歩く事も無くなりました。
ある時、電話がかかって来て、行ってみると「食事が作れなくて何も食べていないので点滴を受けに行きたい」と言うのでタクシーの手配をしました。そして、兄嫁へその事を書いたメモをテーブルに置き、ソファーで寝ていた甥に「お母さんが帰って来たらメモを読んでもらって」と声をかけて帰って来ました。そしてしばらくして兄嫁から電話がありました。何か、物凄くどなっていた様ですが意味はわかりませんでした。今から思うと一緒に病院までついていった方が良かったのかもしれません。その時はうちも晩ご飯を作る時間だったので、「1人で行ける」という言葉を信じて1人で行かせたのですが、それが兄嫁の逆鱗に触れたのかもしれません。後日、用事で兄嫁が家へ来た時、私は何事も無かったかの様に接しました。ケンカはしたくなかったので。でも、どっちも顔がこわばっていました(苦笑)。
それから間もなく父の見舞いに行った時、兄から兄嫁が私の事を「二枚舌」と言っていると聞きました。謝る様に言われたので、カッときて私は兄に「誤解する奴には勝手に誤解させとけば良い!!(だったかな?)」と言い返しました。その2日後、私は発狂しました。
<追記>詳しくは2000年5月20~21日の日記をご覧下さい。