9月21日(水曜日)

Guppy   2011年9月21日   9月21日(水曜日) はコメントを受け付けていません

天気「台風で雨がザーザー降って来て」

今朝は何とか起きて炊飯器のスイッチをONしました。昔の人は偉いですね。毎朝毎朝早起きしてかまどでご飯を炊いていたのですから。それも火加減の調整があるから居眠りも出来ず。今日はパパが5時半に目覚ましかけてくれて、その音でパパが起きてそれから起こしてもらいました。私の耳にはちっとも目覚ましの音が聞こえないので(爆)。で、本日は梅干しの話を書こうと思ったのですが、あまりの眠気に勝てず、今から朝寝します。では、後ほど。

おはようございます。只今午前11時半です。実は私が保存食品である本物の梅干しを作りたいと思ったのは、ずっと昔の大昔の事でした。大阪に居た頃、親子3人でお出掛けしようと夜中におにぎりを、買った梅干しで作りました。寒い日だったので、車の中はとても暖房がきいていました。そこで2~3時間した後で朝ご飯代わりに食べました。すると、パパが「この梅干し、くさっているから食べるな」と言いました。正直、私にはよくわかりませんでしたが、ご飯が痛んでいる様に感じましたので、すぐに食べるのを止めました。それからは、素手で握ったのがいけなかったのかと思い、ラップでくるんで握っていました。もちろん梅干しは入れず。

こちらへ帰って来た時は、もう実家では梅干しを作らず、兄嫁の実家から梅干しをもらっていたのを知りました。それで、身体は無理でも頭がはっきりしている今のうちにと思い、祖母に梅干しの作り方を教えてくれる様、頼みました。条件は、私の分が5キロ、祖母の分が5キロの計10キロ作るのならという事だったので、速攻でOKしました。

というわけで、その年の夏は大変でした。梅干しを作るのにこんなに手がかかり、時間がかかるとは思ってもみませんでしたから。今でもその時に書いたメモが残っています。まず梅を塩漬けにする為に、前の晩お米のとぎ汁に漬けておいて当日は2~3時間かかるかな。梅から水があがって市場に赤シソが出回っていたら、朝一に赤シソを8把買います。これは梅が10キロの場合で、5キロだと4~5把ぐらいかな。よーく流水の下で赤シソを振り洗いして、それから1枚1枚葉を摘むのに何時間かかった事やら。4把で5時間と書いてありますから、この後の工程に塩もみもあるので本当に1日仕事で疲れました。これで、取りあえず梅雨が明けるまで一休みです。

次の工程はその梅と赤シソを干すのですが、普通は3日3晩と言われていますが、祖母のは、よ~く晴れた日の朝9時から昼3時まで、いちいち出しては戻し、出しては戻しの繰り返しでした。期間は4日間。最後の日は、二握りほどの赤シソを落としぶた代わりにして、それからふたをしておしまい。あとの赤シソは新聞紙に包んで、また天気が良くて風の無い日に2日間干して、その2日目の夕方、すり鉢に入れ、すりこぎでよくするとシソふりかけの、出~来上~がり~♪(詳しくは「Guppyオリジナルレシピおばあちゃんの梅干し」参照)

この時は怒濤の様な日々でした。でも、祖母のおかげで貴重な体験となりました。その次の年からは1人で作って、発病する前の前の年まで毎年作り続けました。梅と赤シソと塩だけで作った完璧な保存食品なので、もうお弁当に入れてもおにぎりに入れても安心でした。ところが、病気になってからは作れなくなって、2~3年前、もう作れる日は永遠に来ないだろうと思って、道具を全部処分しました。今は、昔ながらの塩だけで作った梅干しを売っているスーパーを見つけたので、それを買ってお弁当に入れています。

今日はパパは歯医者さんです。おかずはもう昨夜のうちに作っておいたので、後はご飯を炊くだけ。楽チ~ン。

9月20日(火曜日)

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天気「メチャ寒い今日も1日雨が降り」

今朝、洗濯機が洗濯している最中ですが、つまみ食いしたさつま揚げを食べながら爆睡したらしく、起きたら口の中がさつま揚げでいっぱいでした(不味!)。お蔭でお昼ご飯はお腹が空いていないので食べませんでした。おやつにトーストでも焼いて食べるつもりです。

私は、年に2回、祖母が作る祭り寿司がとても好きでした。その中でも1番好きだったのは奈良漬けときゅうりの太巻きでした。作っていて具のかんぴょうが無くなったら、いつも酢飯が無くなるまで奈良漬けでしたので、とても貴重な太巻きでした。たった2本ぐらいだったせいでしょうか、7人家族の食卓に出したらすぐに売切れご免となりました(笑)。今思うと、私の他にも好きな人がいたのでしょうね、きっと。

えー、その次に好きなのがいなり寿司でしたね。これは、私も子供の頃から油揚げに酢飯を詰める作業をしていたので、出来上がった後にこそっと1個つまみ食いなんぞしていました(笑)。この辺は、関西と違って物凄い味の濃いのが好きなので、ご飯にまで味がしみて、本当に美味しかったです。結婚してから私が作っていたのは夫に合わせて薄めだったので、酢飯の味しかしませんでした。それでも、息子はおいなりさんばかり食べていましたね。他の寿司より甘かったからでしょうか。

最後に子供の頃は大っ嫌いだったあじの押し寿司。これは自分で作る様になってから平気で食べられる様になりましたね。ずっと作り方を見て育ったので、だいたいの部分は覚えていましたが、一応念の為に作り方を聞いておきました。その頃の祖母はもう自分ではお寿司を作れなくなっていて、葉っぱでくるまず一段ずつ「うす板」と呼ばれる経木をはさんだ金沢独特の押し寿司を毎回一段分(12個)あげる約束で教えてもらいました。病気になってもまた作れる様になると思ったせいか、今も押し寿司専用の箱とうす板は我が家にあります。早く作れる様にならないかな。って、作っても誰も食べる人なんかいないのに(泣)。

今晩は停電です。明日の朝、どうやってご飯炊こう。早起きして?出来るかな。

9月19日(月曜日)

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天気「今日はまた1日雨が降り続け」

今日は揚げ物を作りました。大学芋と天ぷらです。揚げ物は怖いのでパパが居る時じゃないと出来ません。それに、仕始めたら全部終わるまで2~3時間はかかります。その間、目が離せなくて。

大学芋は、さつま芋を素揚げしてから火を消して(ここ完全にね)、別鍋に用意しておいた水飴(トッポッキの残り物)としょうゆ(大さじ1/2)と水(大さじ2)を沸騰させて、そこへお芋さんを投入してよく混ぜて、黒ごまを振って出来上がり。砂糖と違って水飴で作ったので、カチンカチンにならなくて、結局2人で全部たいらげてしまいました。

そう言えば、祖母の作る天ぷらは美味しかったですね。粉をつけてからではなく、直接衣をつけて揚げるのですが、定番のさつま芋やピーマン、それに竹輪やソーセージも天ぷらにして、ついでに何の魚かはわかりませんが、白身魚の唐揚げも作っていました。私は側を通る度にさつま芋の天ぷらを手にしてはつまみ食いしていました。ま、そこのところは今も変わりませんが(笑)。唐揚げにした魚は何だったのか、まだ元気なうちに聞いておけば良かったと、ちょっぴり後悔しています。

9月18日(日曜日)

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天気「せっかくのドライブ日和だったのに」

昨日はお好み焼きを2枚半食べました。これでもいつもより少なめなんですよ。1200kcalでしたから。で、しっかりその結果が今朝の体重計に出ました(苦笑)。体脂肪率がいつもは26%台なのに、一夜にして27%になりました。これじゃあ、太りやすくて当然です。「ストレッチをしたら」と言われた事がありますが、そうするとまた腰痛で腰が90度に曲がりそうで怖くて出来ません。いつ、どんなきっかけで腰痛になるのか、わからないのです。とにかく体重を落とす事。それが高校時代に医者から言われた事です。それと、田んぼや畑仕事は出来ない事、出産はかなり難しい等々。

そう言えば、昔祖母が嫁いで来た頃は、「嫁して三年子なきは去る」と言われ、そういうお嫁さんを「石女(うまずめ)」と言って実家に帰されたそうです。なのに何故祖母は帰されなかったか、それは祖父が両親にそうさせなかったからではないかと推測します。その代替案として、祖父方からは祖父の姪である私の母、祖母方からは祖母の遠縁の男の子を養子にして、将来2人を結婚させる約束だったそうです。それがダメになったのは、その祖母方の養子が家から出て行ったからです。何故出て行ったのかはわかりませんが、祖母は母の実母である小姑が自分の悪口をその人に吹き込んだからだと言い、母の実家では祖母が厳しくこき使うから耐えられなかったのだと言っていました。

まあ、出て行った者は仕方が無いとして、新たに婿養子を迎える事になりました。それが、私の父でした。初めは農業と公務員の仕事の両方をこなしていましたが、そのうち公務員を辞め農業も辞め、祖父の提案でパチンコ屋をする予定でした。ところが、近所に一足先にパチンコ屋が出来てしまって、その案は立ち消えになりました。それからは主に母が働く様になって、貸家を社員寮にして寮母になったり、それを辞めて食堂を始めたり、畑にレストランを建てて経営したり、その後T氏と土地転がしを始めて用の無くなった父を家族全員で離婚させ追い出しました。これはまだ父が居た頃ですが、母がこぼしていました。「もしあの人(祖母方の養子)と結婚していたらもっと違っていただろうに」と。祖母はと言えば、来る人来る人に父の悪口をよく話していました。それだけ父の事が気に入らなかったのでしょう。父が亡くなり、祖母も亡くなってようやく一世代が終わった様な気がします。

9月17日(土曜日)

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天気「朝は雨昼から止んで蒸し暑い」

今日は診察日でした。待ち時間は1時間半。ほとんどを階段に座って待ちました。診察で、パパが聞いて欲しいと言っていた記憶力の事をお医者さんに聞きました。自分が言った事か他人が言った事か区別がつかないし、物忘れがひどいと言ったら、薬も飲んでいるし、それを止めるわけにはいかないし、という事で、ま、仕方が無いという事みたいです。最近は泣く様な事もなく、希死念虜も無くなったと言った尻から、「おばあちゃん」と言ったとたんまた声が泣き声になって。日記に吐き出していったらそのうち治まるのではないかと期待しているのですが…。

祖母は過去に精神科にかかった事があると、多分母からでしょうか、聞いた事があります。でも祖父が診察室でお医者さんと話をしている時に、廊下で横に座っていた人からある宗教団体の話を聞いて、「精神科は嫌、どうしてもそこへ行きたい」と祖母が言うので、多分母でしょうが、連れて行ってあげたそうです。それがきっかけで、祖父と兄以外の全員がそこへ通う様になりました。そこは創価学会に次ぐ大きさの新興宗教でした。当時小学生だった私もマイ数珠とマイ経典を持っていました(笑)。家にはもともと浄土真宗の仏壇が有ったのですが、その部屋の隣りの部屋に新しく仏壇を作って、そこでよく集会をしていました。もちろん私も参加して、お茶汲みとかしていました。そして、毎年大晦日になると新年の行事にも参加して。

あれは6年生の頃でしょうか、よく覚えていませんが、母お墨付きで学校を休み、東京にある大聖堂へ行きました。ついでに国会議事堂も見学した覚えがうっすらとあります。兄をその宗教団体の高校へ行かせるという話も聞いた事があります。その時は、「長男を外へ出したら帰って来なくなる」という話を聞いて止めたそうですが。とにかく、生活のほとんどが、その宗教を中心に動いていました。

ある日、私は中学生になって自動的に青年部に配属されたので、布教活動する様言われました。でも、「宗教は個人個人が自らの意思で入るもの」と思っていた私は、「布教活動するぐらいなら辞める」と言って、祖母にもそう断言して辞めました。それからしばらくは祖母も行っていましたが、母が商売をする様になってからはいつの間にやら誰も行かなくなりました。その後、真光様とか、まあ色々あっちゃこっちゃ行っていましたが、結局は浄土真宗でお葬式なんですよね。真宗では亡くなったら即成仏なので、もうとっくに極楽浄土に居る事でしょう。頼むからおじいちゃんと仲良くしてね(苦笑)。

えー、毎度スルメの話で、ど~もすみません(初代林家三平風に)。昨日は焼き過ぎたので、今日は軽ーくあぶって熱いうちに手袋をはめて細く裂きました。そうしたら、すっごく美味しくて、しかも私の歯でも食べる事が出来ました。横からパパも手を出して来るので、アッと言う間に半分になりました。でも、カロリーは一切れでほんの5kcalなので安心して食べました。だって、今晩はお好み焼きなので。