天気「朝は雨昼から止んで蒸し暑い」
今日は診察日でした。待ち時間は1時間半。ほとんどを階段に座って待ちました。診察で、パパが聞いて欲しいと言っていた記憶力の事をお医者さんに聞きました。自分が言った事か他人が言った事か区別がつかないし、物忘れがひどいと言ったら、薬も飲んでいるし、それを止めるわけにはいかないし、という事で、ま、仕方が無いという事みたいです。最近は泣く様な事もなく、希死念虜も無くなったと言った尻から、「おばあちゃん」と言ったとたんまた声が泣き声になって。日記に吐き出していったらそのうち治まるのではないかと期待しているのですが…。
祖母は過去に精神科にかかった事があると、多分母からでしょうか、聞いた事があります。でも祖父が診察室でお医者さんと話をしている時に、廊下で横に座っていた人からある宗教団体の話を聞いて、「精神科は嫌、どうしてもそこへ行きたい」と祖母が言うので、多分母でしょうが、連れて行ってあげたそうです。それがきっかけで、祖父と兄以外の全員がそこへ通う様になりました。そこは創価学会に次ぐ大きさの新興宗教でした。当時小学生だった私もマイ数珠とマイ経典を持っていました(笑)。家にはもともと浄土真宗の仏壇が有ったのですが、その部屋の隣りの部屋に新しく仏壇を作って、そこでよく集会をしていました。もちろん私も参加して、お茶汲みとかしていました。そして、毎年大晦日になると新年の行事にも参加して。
あれは6年生の頃でしょうか、よく覚えていませんが、母お墨付きで学校を休み、東京にある大聖堂へ行きました。ついでに国会議事堂も見学した覚えがうっすらとあります。兄をその宗教団体の高校へ行かせるという話も聞いた事があります。その時は、「長男を外へ出したら帰って来なくなる」という話を聞いて止めたそうですが。とにかく、生活のほとんどが、その宗教を中心に動いていました。
ある日、私は中学生になって自動的に青年部に配属されたので、布教活動する様言われました。でも、「宗教は個人個人が自らの意思で入るもの」と思っていた私は、「布教活動するぐらいなら辞める」と言って、祖母にもそう断言して辞めました。それからしばらくは祖母も行っていましたが、母が商売をする様になってからはいつの間にやら誰も行かなくなりました。その後、真光様とか、まあ色々あっちゃこっちゃ行っていましたが、結局は浄土真宗でお葬式なんですよね。真宗では亡くなったら即成仏なので、もうとっくに極楽浄土に居る事でしょう。頼むからおじいちゃんと仲良くしてね(苦笑)。
えー、毎度スルメの話で、ど~もすみません(初代林家三平風に)。昨日は焼き過ぎたので、今日は軽ーくあぶって熱いうちに手袋をはめて細く裂きました。そうしたら、すっごく美味しくて、しかも私の歯でも食べる事が出来ました。横からパパも手を出して来るので、アッと言う間に半分になりました。でも、カロリーは一切れでほんの5kcalなので安心して食べました。だって、今晩はお好み焼きなので。