1月16日(火曜日)

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天気 「いつの間に 雪が積もって 白い屋根」

夜6時半過ぎです。いきなりパパの携帯電話から緊急速報のJアラームが鳴りました。そのちょっと前にパパと喧嘩になりまして、喧嘩と言っても殴り合いや言い合いじゃなくて、互いに不機嫌な態度をとる程度でしたが、何故パパが不機嫌になるのか理由がわからず、そんな中途半端な状態が続くのは私には耐えられませんでした。

そんな私を無視してパパはお風呂に入る為のお湯張りをしていました。そこへJアラームが鳴ったのです。幸いここは震度1だったのでほとんど何も感じませんでしたが、いつになってもアラームの音に慣れません。

その後パパがお風呂から上がってきて晩ご飯になりましたが、私はとうとう耐えきれず「さっきの地震で死んでしまえば良かった」とこぼしました。被災者の方々には申し訳ありませんが、私はもうこの家庭に未練が無くなったのです。母から利用されない様、必死で守ってきた家族でしたが、母が亡くなった今改めて見ると特別守るほどのものでもないなと、微笑んでいる母の写真を思い出して早く母の所へ逝きたいと、初めて思いました。

希死念慮に陥った時の頓服ジプレキサは手元に持っています。この薬は死にたくないと思った時は本当に役に立ちます。祖母が亡くなった時は大いに役に立ちましたから。でも、今は必要ありません。薬の管理はパパがしているのでオーバードーズになるほど手元に薬はありません。また有ったとしても、毎日嫌になるほど薬を飲んでいるので、これ以上飲みたくはありません。かと言って血を見るのも嫌ですし。

ああもう夜中の2時を過ぎました。もうクタクタで早く寝たいんだけどパパの隣で寝るのがどうもねぇ。気が重いです。

1月13日(土曜日)

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天気 「朝は雨 昼から雪が 積もりつつ」

今日は診察日でした。母が亡くなった事を報告しました。そして、ご飯が食べられなくなった事も。先生にお餅は食べられると言ったら「カロリーは大丈夫ね」と安心した様に言いました。そっか、お餅ってカロリー高いんだと改めて思いました。

お酒を飲んだ事も特にお咎め無しでした。そして、良かった時の事だけ思い出して、悪かった時の事は思い出さない様にとアドバイスをくれました。パパが、たった1枚だけ手元に証明写真があったのでそれを写真立てに入れてお参りをしていると言ったら、先生はその「たった1枚だけ」の経緯にビックリした様子でしたが、良いじゃないと言ってくれました。最後に涙が出ない事も話しましたが、別に出なくても良い様なお返事をもらいました。

帰りにJAへ寄って買物をして帰って来たら、やらなきゃいけない事がいっぱい有るのに椅子に座り込んでしまいました。パパが「頓服飲んで」と言ったのでアリピプラゾールを飲みました。そして、昨日のリンゴの残りを食べていたら、ようやく落ち着いてきました。でも、私が全部食べちゃったのを見てパパが「俺も欲しかった」と小さな声で言ってました。遅いってw

さっき、パパのバナナを食べました。私が好きでも無いバナナを食べる時は大概具合が悪い時です。今日は1日中調子が悪いみたいです。どうしたんでしょう。身体も地震じゃないのに小刻みに揺れていたし。とりあえず今度は頓服のレボトミンを飲んでみました。いかがでしょいうか。それでは。

1月12日(金曜日)

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天気 「せっかくの お天道様が また隠れ」

昨夜は少しお酒を飲みました。パパが早く帰ってきたので、一緒に買い物に行ってお正月の時に美味しかったからと、また「手取川」と言う大辛口の日本酒を買ったのです。ちびちび飲むのにとても美味しいお酒でした。本当は飲んだらダメなんだけどね、母の事を思い出すとお酒でも飲まなきゃやってられなくて。

住所を教えなかった事に後悔はしていません。会いに行かなかった事も後悔はしていません。家に有る母の写真を写真立てに入れて、前を通る度に顔を見ます。まだ若かった母。多分、再婚した後の写真だと思います。今の私より若く見えます。地震さえなかったらお線香をあげるのですが、線香一本で火事になった元首相の田中角栄のお家みたいになったら困りますから、先は長いので地震の心配が無くなったらまたあげるつもりです。

さっき、岡田斗司夫のYou Tubeを見ていました。題材は「毒親」。すると息子に「またお祖母ちゃんの事を考えとるんか?」と聞かれました。私は「うん」と答えました。今日も晩ご飯はおかずだけ何とか食べたけどご飯はほとんど食べられませんでした。その代わり、ご飯はダメでもお餅は食べられました。それと、果物は食べられるみたいです。なんで食べられる物と食べられない物があるのか意味がわかりません。飲物はお茶しか受け付けられません。色々有るのに何で麦茶だけなのかもわかりません。

とにかく何をしてくるかわからない人だったので、距離的に離れるだけでは安心出来ませんでした。お歳暮だけだからと言ってきても信用出来ませんでした。だから住所も教えられなかったのです。亡くなって初めて肩の力が抜けました。

初めは弟を介して電話番号を聞いてきたので、弟に迷惑をかけてはいけないとパパの電話番号で良いのならと教えたのです。それが間違いでした。初っ端から住所を聞いて来て、教えられないとパパが言ったら弟の家に私宛の手紙や品物を送ってきたのです。そんな事が何度も続いて、弟の奥さんは明らかに不愉快そうでした。そうだよね。母の事を普通の母親だと思っているから何で私が拒否し続けているのか理解出来なかったのでしょう。

とにかく自分の思い通りにする為には手段を選ばずの人だったので、弟に電話をかけて何故こうなったのか自分の口から理由を話そうとした事がありました。が、段々涙声になって何を言っているのか自分でもわからなくなったので、パパが代わりに質問をして私が答えるという形式で弟に聞こえる様に大声で「会うつもりは無い!」「このままもしもの事があったら?」「お参りする!」とだけ答えました。

でも弟には伝わらなかったみたいです。そうよね。弟は誰からも可愛がられていましたから、私の話が信じられないのでしょう。だから早く相続放棄でも何でも良いから関係を終わりにしたいです。

1月8日(月曜日)

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天気 「昨夜雪 またもや屋根が 真っ白け」

今朝は息子が「寝るなら布団へ」とあんまり五月蠅かったので、布団に潜って寝たら、4時間も寝てしまいました。今は頭がシャキーンと冴え渡っています。

母が亡くなったと聞いてから12日。ようやく色んな物が食べられる様になりました。まだ1度に1人前は無理ですが、途中で休憩したら何とか食べられる状態です。飲物はまだお茶しか飲めませんが。

また自衛隊のヘリが飛んでいます。そう言えば、羽田空港で物資を運ぶ小さな飛行機と民間の大きな飛行機がぶつかって、小さい飛行機が機長以外全員亡くなったそうな。こういう時はよく死人に口なしと言いますが、機長が生きているのでそれは無理でしょう。でも、民間機の方が火に燃え盛りながらも全員脱出出来た事に世界中から称賛の嵐で、小さい飛行機の方の言い分は聞いてもらえないでしょうね。私は滑走路内で起きた事は全て管制塔の責任だと思いますがね。

今日はパパ3時過ぎに帰ってきました。半日で済んだそうです。私はちょうど3時のおやつでお餅を食べていました。いつもならお餅を食べる日はポリグリップをつけているのですが、今日はつけるのを忘れていました。でも、全然平気で食べられました。反対にポリグリップを付けていた時の方がお餅がくっついて、外れては金属部分が歯茎に刺さったりしたので、今度からはポリグリップ無しで色々食べてみたいと思います。

今日は揺れがありませんでした。でも、とても寒い1日でした。こうやって自分だけぬくぬくしていて、被災者の人達の事を思うと申し訳無い気持ちでいっぱいです。どうしようも無い事だけど。それでは。

1月7日(日曜日)

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天気 「今日は寒ッ 空から霰 降って来て」

今日は昼から美容院の予約をしていて、行こうかどうしようか迷っていたというか、外出先で地震にあいたくはなかったのですが、パパの「大丈夫やろ~」という事で行こうとしたところ、突然地震の警報がテレビから鳴りました。

ビビりましたよ。結局今日も震度の大きいのは能登地方だけでこちら加賀地方では震度2ですみました。なので、今のうちにと美容院へ行きました。でも、パパがマスターから聞いたところによると、正月からずっとキャンセルばかりだったそうです。そうよね。金沢には能登に実家や親戚の家がある人が多いですから、美容院どころじゃないと思います。ま、私の実家は代々金沢だし、パパは関西出身なので、そういう心配はなくてホッとしていますが。

母の事もすっかり心の整理が出来たのか、今日はアイスも食べることが出来ました。なのに、何という事でしょう。ご飯を食べていたら、突然食べられなくなりました。パパに聞いたら、この状態は母が亡くなったと聞いてからずっと続いているそうです。お線香は地震がおきてから危なくて焚いていません。でも、写真を見ると怒っていなくてホッとします。

たった今、地震の揺れを感じました。椅子から滑り降りて地べたに座り込んでしまいました。怖かったです。被災地の人達はこんな思いをずっと味わっているのかと思うと、早く治まって欲しいと願うばかりです。