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  1. 投稿者:Guppy

    こんにちは

    ウェイさん
    献身的に尽くすのは何も末っ子のお役目とは限りません。
    私の弟は何もしなくても生まれた時から家族全員に可愛がられていました。
    兄は兄で家族の期待を一身に背負って毎日勉強ばかりしていました。
    家の手伝いをしてきたのは真ん中の私だけです。
    小学校の時から手にアカギレを作って手伝ってきました。
    私が言いたいのは、そうなるのはその子の性格によるのではないかという事です。

  2. 投稿者:ウェイ

    こんばんは。

    私も本音を言えば、楽をしたいです。
    しかし、現状、私が頑張らなければ生活が成り立ちません。
    家族が皆、楽をしたら、家庭が崩壊します。
    献身的に尽くすのは末っ子のお役目なのでしょう。

  3. 投稿者:Guppy

    こんにちは

    ウェイさん
    すぐに修理が終わって良かったですね。
    修理代もお安くて良かったです。
    男の人ってLED好きですね。
    家はどこもかしこもLEDです。

  4. 投稿者:ウェイ

    おはようございます。

    ディーラーで車のハザードスイッチの修理をお願いしました。
    10分で完了、4200円なり。
    電球(LED?)が手に入れば、DIYで出来たかもしれません。

  5. 投稿者:Guppy

    おはようございます

    ウェイさん
    依存症、同じですね。
    私も携帯電話は持っていません。
    家族のお古をもらって買物の時の電卓として使っています。
    災害時の何が困るってパソコンが出来ない事でしょうね。
    災害が無い事を祈ります。

    みわさん
    斜視が手術で治るとは知りませんでした。
    私もパソコンの画面が2重に見えます。
    早く眼科へ行かなくては思いつつ今日に至っています。
    娘さん、手術して早く治ります様に。

  6. 投稿者:ウェイ

    みわさん
    私の兄も緑内障の疑いがあります。
    ですから、無理に働けとは言えません。
    娘さんの斜視の治療が成功する(再発しない)ことをお祈りいたします。

  7. 投稿者:みわ

    娘が2度目の斜視になってしまいました。1回目は中3の時に発症して、市民病院の眼科に連れて行ったのですが如何にもこうにも、で大学病院に紹介状を書いてもらって高校生になってからは眼科の「斜視弱視、小児眼科」の先生に通い、結局高2の11月に手術しました。
    今度は今週の木曜日、朝ごはんを食べながら「非常に申し上げにくいのですが、またものが二重に見えるようになってしまいました」と。いつから?って聞いたらなんと1年前から。どうりで車を擦ったり、人様の車にぶつけたり(人身事故がなかったのは幸い)あまりにも頻繁なわけです。片目瞑って運転している、とも言っていました。ちょっと運転させられません。
    すぐ、新しくできた市内の眼科医院に連れて行って、紹介状を書いてもらいました。あと、大学病院の眼科の予約もしてもらいました。夫は初めは「そんなもん、俺は休めん。○○(娘)に病院まで運転させろ」なんて言っていましたが、昨日職場で交渉して、9月1日は運転してくれることになりました。
    その後の通院は私も運転してないし、朝早く家を出て駅までタクシー、電車で県庁所在地の駅まで、後は病院までのバスになりますね。痛いです。

    夫は今64歳なのですが、来年の7月で65になります。そしたら健康保険で娘を扶養に入れることができません。国民年金保険料も払わなくちゃならないし。目を治すのが優先ですが、なんとか働けるようになってほしいです。今思えば、去年の暮れのa型就労のパソコンのデータ入力もきつかったのではないかと。

  8. 投稿者:ウェイ

    おはようございます。

    私はパソコンに依存していますから、スマホを所有したら はまりそうです。
    それにしても便利な時代になりました。
    災害時に不便を強いられそうで、今から不安です。

  9. 投稿者:Guppy

    こんにちは

    ウェイさん
    今はコロナがあって、それでも仕事があるだけマシだと思います。
    こんなご時世でも忙しいのはありがたい事、無理しない程度に頑張って下さい。

    伊藤三枝子さん
    私の実家も祖母の遺産は全て兄の物になりました。
    夫が言うには、私達が結婚する時「相続放棄」の書類にサインをさせられたそうです。
    どうか骨肉の争いにならぬ様、お気を付け下さい。

  10. 投稿者:伊藤三枝子

    今朝は予報通り冷え込み私はお腹を壊しました
    母も最期はシッカリして主人は「認知症では無かったと思うよ!」と言います。確かに入居当時は何故、こんな所に入れられているのか分からず混乱はしておりましたが病院の対応が良かったのか次第に落ち着き、話もスムーズに通じるようになっていきました。

    息を引き取った後は若いヘルパーさんが「いつも、優しくて無理しないでね!」と言われたと涙を流し教えてくださいました。
    私は茫然としていてお礼を申し上げることもできず今でも後悔しております。

    姉が母の後見人でしたので私は全てを任せておりましたが、しばらくすると代理弁護士から母の遺産は全て姉の物になると知らされました。家も土地も姉の名義に変更されておりましたが救われたのは父の会社の立ち上げ日が私のb.d.だったことです。

    医師に相談したら「今後は姉と直接話さず、御主人と甥御さんとで話したもらいなさい」と言われました。
    成程、心が穏やかになりました。