天気「懐かしむ間もなく消えた初雪や」
一昨日またまた夫と些細な事から口論になり、昨日は丸1日キーボードさえ打てない程、疲労で寝込んでいた。今AM4時、ようやく楽になって日記を書いています。私は小学生の頃からよく癇癪を起こしていたが、それは生まれつきの性格だと思っていた。今思うと、子供達を育てていた一家の主婦である祖母が、精神科へかかる程の病気だったにもかかわらず治療を拒否して宗教に走った為、後天的に影響を受けたのかもしれない。最初に症状があったのは21才の家出中だと思う。うつ症状で1~2回、3~6ヶ月(‥)(: )(¨)( :)(‥)))))コロコロしていたら自然と治まっていた。だから病気だとは思わなかった。次になったのは27才の時、祖母から「あんたには母親が居るだろう。お金に困っているなら、そっちに言えば…」と言われ、音信不通だった母に嫌々連絡をとった。母は喜んで、当時住んでいた京都に私達家族を呼び寄せ、母のうさん臭い商売を手伝う事を条件に出してきた。その時母に、住んでいた賃貸住宅の契約を解約されて、恐ろしさの余り適当な言い訳をして逃げてきたのだが、その時すでに私は妄想を伴ったうつ状態に陥っていたのだと思う。慌てて家財を処分し実家にも友人にも黙って、行く当ても無いのに車に乗るだけの最低必需品を持って、まるで夜逃げのように大阪へ行った。そして1か月後に落ち着き先が決まってから、半年間(‥)(: )(¨)( :)(‥)))))コロコロ寝てばかりの暮らしをしていたら自然とまた動ける様になって、それで初めて皆に引っ越しの通知を出した。これらが全て気分障害 (躁うつ病) という病気のせいだとは、今回の様な酷い症状が出て『軽症うつ病 (笠原嘉-著)』を読むまでは気付きもしなかった。いわば、私は知らないうちに再発を繰り返していたのだ。ただ今回は、大阪から戻ってきた時に祖母に逆らえずに実家の近所に住む事になって、年月とともに人間関係からうつ状態になっていたところへ父の件で兄弟から脅迫めいた事を言われ、それが心因となって急性の外的環境的ストレス反応を起こし、不眠症→重い躁状態による意識障害 (12/11の日記参照) という形で再発したのだと思う。日本では、この重い躁状態による意識障害から始まる再発を『非定型精神病』と言うのだそうです。お役所に出す書類だから、そういう意味でお医者さんは書いたのかもしれない。どっちでも良いけれど、今回の発病からすでに1年半以上、慢性化して未だ治る見通しがつかないのが夫をイライラさせているのだと思う。暮れで仕事も忙しいしね。口論の原因?、それは私が晩ご飯の後片付けを何時になってもしなかったから。だってぇ、買い物に連れて行ってもらった後すぐに晩ご飯の用意をして食べて、疲れちゃったんだモン。休憩すれば出来ると思ったから「後でする」と言ったら、「どうせ俺が寝る頃になって、やっぱり出来ないと言うに決まっている」と言われた事が発端です。「前にもそんな事があったから、そうなるくらいなら食べ終った後すぐに言ってくれないと、こっちも疲れているんだからな(-_-#」と言うんです。「大丈夫」と何度言っても聞いてはくれなかった。・゚゚・(>_<)・゚゚・。。パパだけじゃない、私にだって療養中なりのペースというものが有るのに...。<( ゜^) ツン