天気「秋らしく今日も涼しや曇り空」
デプロメール(抗うつ剤SSRI)を止めて2週間以上経つ。かゆみはほとんど無し。もちろん発赤も出ない。でも先週からのテトラミド(抗うつ剤)とルーラン(非定型抗精神病薬)の組み合わせになってから、どうもパパが言うには情緒不安定になったらしい。とにかくすぐに涙があふれて困る。今までデプロメールを飲んでいた6年間は涙一つ流さず何の感情も湧かなかったのに、薬の効果って不思議。同じSSRIのルボックスだったらどうだろうと『お薬110番』で調べたら、もっとひどい副作用が書かれていて、「全身発赤」とか書いてあった。恐ろしや。つまりは、もうSSRIは飲めないと言う事なのね。精神状態は安定していたのに残念。パパはもう少し安定する様に、また来週先生に相談すると言っている。また薬探しの日々が始まるのかなあ。
今、私はすごく残念に思っている。息子の成長を見られなかったからだ。息子の中学時代の事は何一つ知らない。息子の成長を楽しみにしていただけに、それを思うと涙があふれてくる。私は自分の事で精一杯で、息子の事もパパの事も何もかも他人事だった。息子が今の学校へ入りたいと私に言ったらしいが、全てが他人事だった私は、「私は好きな学校へ行かせてもらえなくてすごく後悔したから、あんたは好きな学校へ行ったら?」などと答えていたらしい。その学校がどの程度の学校かどんな学校かは考えもしなかった。興味が無かったから…。息子が入学して1年くらい経ってからかな。突然霧が晴れた様に視界が見えた時、私は現実的になった。そうしたら息子が何故そんな学校へ行ったのか理解出来なくて、毎日息子の前で夫婦喧嘩して学校をけなしていた。パパ 曰く、息子は毎晩ベッドで泣いていたそうな。知らなかった。息子には本当に可哀想な事をしたと思う。でも、もし私が発病していなかったら狭いアパートから広いアパートへ移りたがっていた事も実現しなかったろうし、今の学校へ受験もさせてもらえなかっただろうと思う。私は私の反面教師だった母と同じ教育ママゴンに変身していただろうから…。息子は小学3年の時に先日合格した大学のサマースクールへ行った事がある。あの時から息子にはその大学が憧れの対象になっていたのだろうな。あの頃、私の兄は「そんなところ(サマースクール)へ行かせたら、将来その大学に行きたがる様になる」と言っていた。悔しかった私は絶対にそうはさせないと固く心に誓ったものだった。でも私が発病したせいで、私に邪魔される事も無く、息子は着々と自分の夢に向かって歩んでこれた。病気になるのも悪くないもんだ。息子よ、これからも自分で決めた目標を見失わずに頑張って突き進んで行って欲しい。