天気「暴風雨警報解除今曇り」
昨日はキチ○イみたいにヘッドフォンで音楽を大音量でループさせながら、掲示板巡りをしていた。途中で「私ってキチ○イみたい」と思った。こんな事が半日も出来るなんて普通の人には無理だろう。私達兄弟はいびつな家庭で育った。兄は受験ノイローゼになったし、弟は学校で暴れていたらしいから。
私は父が追い出されてから、父のしてきた事がやっとわかる様になった。結婚してからではあるが…。兄の滑り止めの学校に入学金を入れなかったのは、ひたすら兄に浪人してでも地元の国立大へ入って欲しかったからだろう。何故かと言うと、弟が一浪して地元の国立大に入ったと危篤前に聞いた時、満足げに「ウン、ウン」と頷いていたからだ。
また父が家賃集金のお金をくすねていたのは、夫曰く、小遣いがあたらなかったからだろうとの事。確かに、公務員を辞めさせられてからは毎日ブラブラしていて、私はそんな父が嫌でしょうがなかった。もし公務員をずっと続けさせてもらっていたら、父は小遣いに不自由しなかっただろうし、従ってくすねる必要もなかっただろう。私達はずっと悪人だと思っていた。今までの私は、私が母から聞かされた「お父さんはいつか追い出されるだろうと言っていた」との言葉から、きっとその時の為に貯蓄していたのだろうと考えていた。でもその考えはパパの言葉で払拭された。そんな悪人か計画性が有ったなら、もっと巧妙にやって、すぐばれる様なヘマはしなかっただろうと…。気が弱っちいだけの平凡な人だったと思うよとの事。そうだよね。
私は幼い時、父の吸う煙草の煙が大好きだった。でもいつの間にか父は止めさせられていて、小学生の時にはもう吸う事はなかった。今でも懐かしい香りである。父はあの家を追い出されて幸せだったと思う。好きな様に生きられたから。私には父が麻雀していた事も麻雀友達がいた事も信じられない事だった。これは父の死後、住んでいたアパートを片付けしていた時に麻雀の結果の入ったフロッピーを見つけてわかった事なんだが、父が麻雀をしていた事に衝撃を受けた。父は私達が考えていた様な人物ではなかったのである。これには今でもビックリである。私の生家に居た時は、さぞかし肩身の狭い思いしてきたのだろうな。私も今では付き合う事も無く、自由にさせてもらっている。私のこれまでの人生で一番、楽をさせてもらっている。感謝しないといけないね。
そう言えば、先週の病院通いの時に、ご老人が手押し車を脇に置いていたのを見て、夢を思い出した。豪華な手押し車を、実家の養祖母(母の養母)に贈る夢を見たと夫に言うと、「会いたくないか」と聞かれた。私は「別に…。もう私の事なんか忘れているだろう」と答えた。老人ホームで、きっともう寝たきりになっているだろう。今の私には自分の事だけで精一杯なのだ。もうそんなお義理の付き合いはしたくはない。養祖母の事は養子になった兄夫婦が看ればいいのだ。養子になって良い思いばかりではない事を思い知ればいい。