7月 5日(月曜日)

Guppy   2004年7月5日   7月 5日(月曜日) はコメントを受け付けていません

天気「蒸し暑いもうすぐ雨が降って来る」

今日で3日間の通院も終わり。もうほとんどバイキンはいず、後4日間ほどクラビット錠(抗菌剤)100ミリグラムを飲むだけとなった。パパには迷惑かけてホント悪かったと思う。ごめんなさい。

先月の自殺騒ぎで採った血液検査で意外なものが発見された。今日検査報告書をもらったのだが、何と私はC型肝炎の抗体を持っているらしい。輸血を受けた事が有るか聞かれたがとんと覚えがない。「命令書(厚生労働省発医薬第166号)別紙2に対するご報告(http://www.mhlw.go.jp/houdou/0105/h0518-2a.html#betu1)」によると、昭和63年までのフィブリノゲン製剤の静注での使用疾患の中に帝王切開が入っているから多分それか、あるいはフィブリノゲン製剤のフィブリン糊として、体内の縫合に使われたか…。私は昭和61年に帝王切開で子供を産んでいる。2日間の徹夜続きで、半身麻酔にも関わらずイビキをかいて寝ている間に産んじゃったから、覚えはないのだが…。あの後、抜糸の時に、体内のは溶ける糸みたいな物を使ったと産婦人科医は自慢していたからそれかもしれない。

そう言えば、産んでから5年ぐらいして、原因不明の高熱を何度もだした。その度に注射を打ってもらって風邪薬を飲んでいたが、とうとう夜間の急患で運ばれ検査したところ、肝臓が弱っているのと白血球が異常に多いのが発見され、その時は痛くもない盲腸の手術をした。丁度病院の乗っ取り事件が多発していた頃で、手術を受けた病院も乗っ取りされたばかりで週に2~3人は盲腸で入院して来るという怪しげな病院だった。手術に慣れていない副院長がベテランの医者に教わりながら手術していたっけ。その時は盲腸なんて有っても無くても良い物だから、結婚前に取っておこうと思っていたほどだし、誤診でも丁度良いやぐらいにしか思っていなかった。けれどその半年後、急にこちらへ帰って来る事になって、その後も原因不明の高熱を1回だした。その時も病院では風邪薬ぐらいしかもらってはいない。あれらは全てC型肝炎だったのかぁ。医者の話だと治って抗体が出来たのだと言っていた。ふ~む。

とにかくもう一生お酒は飲めなくなった。生まれついての酒好きなのに楽しみが1個減ってしまった。勿論、5年前に躁うつ病と診断されてから、主治医の言われる通り断酒はしてきたが、改めて一生飲めないとなると治った後の楽しみが、う~~~。後は煙草だけかー。これも金食い虫の子供が大学を卒業するまで煙草貯金しているので、後4年は吸えない。

ついでに先月の大量服薬で入院した時に、パパが病院側に提出したメモが帰って来た。それによると、私はレボトミン5mg×16錠、アキネトン1mg×18錠、セレネース1mg×4錠、デプロメール50mg×5錠、ベゲタミン-B×4錠、ベゲタミン-A×2錠、メイラックス2mg×2錠と書かれていた。私は知らず知らずのうちにメジャートランキライザーばかり飲んでいる。2000年の6月22日の自分の日記を忘れたのか。あの時書いた「うつ病」の人達みんなへの、私からのメッセージを…「もし、病気のあなたの手元にカミソリや、大量の「ANGEL DUST (メジャートランキライザー)」が有るのなら、今すぐ処分して下さい。「自殺衝動」が襲ってこない中に」、そう私は書いたではないか。情けなやー。自殺する気はなかった。でも万が一死が訪れても良いかと、心のどこかで思わなかったか。思わなかったとは100%言い切れない。希死念慮のメル友がいる。彼女にいつも生きるよう説得していたのに、これじゃぁ人様に言える立場じゃねーわ。穴が有ったら入りたい。