6月12日(土曜日)

Guppy   2004年6月12日   6月12日(土曜日) はコメントを受け付けていません

天気「雨音につられて起きる肌寒し」

昨日は急きょ予約を取ってクリニックに行った。怒られると思ったが大丈夫だった。ホッ。パパが主治医に報告をしていて、とにかく3時間ほど眠った後はズーッと眠っていないと…。そして改めて処方箋のやり直し。ナースコールが四六時中聞こえ、クリニックの床が教会の壁画の様に見えるので、抗うつ剤を全て取っ払って幻覚等を抑える精神安定剤に替え、眠前のお薬はそのままにして眠れる様にしてくれた。そして最後に「自分を大切にしんなんよ」と言われて、私は思わず涙が止まらなくなった。

昨日のパパは私がテンションも高く次はリストカットするのではないかと心配で、一人では置いておけなくて出掛ける時は私を車に乗せて、パパは買い物したりしていた。そして一昨日買った小さな鍵付き金庫に薬を入れるつもりで、鍵に付けるそのまた鍵(ダイヤル式)を2種類買った。あちこちに迷惑もかけたし、これ以上こんな事にならない様にと…。パパは今回の件では自分の管理責任に問題があったとズーッと自分を責めている。元々神経の細い人だからパパの方が心配になってしまった。パパは片目がチック状態になっているし…。ゴメンネ、パパ。

たった1日の入院で体重が1キロ減った。そしてご飯が食べられなくて翌日にはもう半キロ減って、今は体重67キロである。パパが昨日はそうめんを作ってくれた。食欲は無いわけじゃないが、身体がもう大量の食事をとれなくなっている。これが続くと一気に減るのだが、知らない病院へ行くのは嫌だから、もうしない。それにしても胃洗浄見てみたかったなぁ。気が付いた時はもう夜の面会時間が終わる頃で、パパが心配そうに声をかけてくれた時だから何も覚えていない。残念だ。

今日になって詳しい事をパパから聞いたが、私は薬物中毒による意識障害を起こしていたらしくて、医師からパパの素人判断を注意されたらしい。取りあえず会社へ行って10時ぐらいにやっと主治医と連絡が取れて、そこで胃洗浄と少なくとも点滴は必要だと聞き、慌てて職場から家へ帰って来たらしい。んで、一人で運べないので救急車の事も考えたみたいだが、私が時々反応したので何とか病院まで運んだとの事。そこで飲んだ薬と分量を医師に申告して、いつ飲んだか聞かれたので朝の状況などから推測して3時間ぐらいと答えたらしい。そうしたら「胃洗浄は間に合わないかもしれない」と言われたが、「何とかやってみましょう」と言われ、その時に胃洗浄の怖さを注意されたと。それは残っていた薬物が気管に入ったりして、それが原因で呼吸困難になって死亡したり、後遺症が出たりする事があるって…。結果、胃洗浄では何も出ていなくて(つまり全部吸収してしまった)、不整脈が出ていたし、意識も戻らなくてそれで入院になったらしい。私はその間の事は何も覚えていなくて、初めて気が付いた時は、白い天井を見て「ああ、病院なんだぁ」とわかった。

今回の入院で教訓を一つ。まず、下着は勝負パンツをはいておく事。看護士にパンツを見られるので履き古したパンツだと恥ずかしい。それからシャワーかお風呂で髪の毛や身体を洗っておく事。邪魔くさくてしばらくお風呂に入っていなかったから髪の毛がいっぱい落ちて、体臭も臭かった。そして洋服を着ている事。連れて行く人が着替えさせてあげようと思っても、意識を失った人間はグニャングニャンで着替えさせられない。またトイレはこまめに行っておこう。意識を失うとお漏らしする事があるからだ。最後にパラ○ウントベッドは腰痛に悪いという事。目覚めた時は深夜だったが、腰痛の痛さで目が覚めたんだ。スパゲッティ状態で何とか横向きになるのはホント大変だった。これは老後の役に立ちそうな情報だ。ゲッツ。

<パパから>今回の件は本当に運が良かったと感謝している。私のおかしな行動の原因を考えてみると思い当たるのは、、、大量服薬した妻の様子が普段と変わらずイビキをかいて眠っているだけに見え、死んでしまうとかヤバイとかという切迫感が涌かなかった。でも私は動転していて、だから反対に仕事に出掛けたり主治医に連絡してからとか呑気な事をやってしまった。この病気の特徴ともいえる外傷や出血が全然なく見た目の変化が余り無い為だと思う。結果、対処の遅れで最悪の事態を招きかねない事になるが今回は運に救われた。家族や周りの人達は病人が大量服薬の疑いがあるときには何も考えずに先ず119番で救急車を呼んで一刻も早い処置をする事を望みます。