1月20日(火曜日)

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天気「買い物の時に限って雨が降り」

今度は予定通り生理が始まった。昨夜パソコンしているうちに腰が痛くなって我慢できずにいたら、「もしかして…」と思い鎮痛剤を飲んだ。今日も朝から下腹部痛に…。こりゃやっぱりと思っていたら、案の定そうだった。今日は買い物の日なのにこれじゃあ動けないわと思って、また鎮痛剤を飲んだ。効いてくれると良いのだが…。トイレに行くと幅1.5センチ長さ5センチほどのかたまりが出ていた。こんな大きいのは初めてだ。今回も1日目と2日目が分量多い様な気がする。前回も座布団に漏らす程多かった。嫌だなあ。このままじゃ眠れそうに無い。

体重が77.5~79キロの間を行ったり来たりしている。体型はドラム缶から少しくびれが出来てきました。でも今日はちょっとチョコレートを食べ過ぎたので、また元に戻るかも…。

そうそう思い起こせば、初めの2年間はパパに触れられるのも嫌だったなぁ。喧嘩ばかりしていたし…。一時はパパは寝室で、私は茶の間で居眠りしていました。でも、パパがその間ネットで彼女を作って実生活では我慢し過ぎて夢精した事を知って、彼女と手を切らせ少しずつ元に戻せる様に努力してきました。今は一ヶ月に1回程度ですがパパがその気になった時、夜の夫婦生活をします。はっきり言って、そういう時の私は何も感じません。今の私は性欲がわいても、パパが滅多にその気にならないので、成立しないのです。だからと言って暴れてもどうしようもないので、ひたすら「待て」の姿勢です。生活時間にずれがあるのも、性生活が成り立たない理由かもしれません。夫は早寝早起きですが、私は遅寝早起きですから…。

1月18日(日曜日)

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天気「明日からお天気崩れ雨か雪?」

私にとって子供は、今も私が発病した当時の中一のガキンチョのままです。だからカレーの中のジャガ芋に芯が有ると言われたら、すぐ手で取って食べて調べます。ところがその行為が子供には許せないらしく、新しく皿を出し、ご飯をよそってカレーをかけて来ました。他の部分は触っていないのに、もうそのお皿では食べる気がしないそうです。私の知らない間に5年も月日が経ってしまい、子供が17才だと言われてもピンとこないのです。勝手に育った様な気がします。なりはデカイが、やっぱり私の目には子供のままです。口元にご飯粒が付いていれば、指で取ってあげて食べるのと、感覚的には同じです。それをわかってもらえないのが残念です。母親ってそんなものではないでしょうか。

わかったふりして大人を扱う様に接したら、子供はつけあがります。パパは子供がちゃんと学校へ行って、ちゃんとウチに帰って来る、それだけで十分ではないかと言います。私にとっては当たり前だのクラッカーです(古ッ)。私も高校時代そうしていましたから…。パパみたく大阪でヤンキーやっていたのとは、育った環境も家庭も違うのに、学校へ通っているだけで子供を誉めます。私は学校へ通っていても、1番にならなかったので誉められた事がありません。私の母親は1番が大好きでした。何をさせても1番じゃないと気が済まない人でした。それに比べれば、1番を強要しないだけでも誉めて欲しいです。(>_<)ゞグスッ

1月16日(金曜日)

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天気「曇りでも雪よりマシかシャワー浴び」

えー、今日はこの土地から何故大阪へ行ったのか、お話します。

子供が乳児の頃、パパは何度も仕事を辞めてプー太郎になり、経済的に不安で義祖母 (母の養母) の援助を受けていました。そして子供を義祖母に預けて研修に通い、内職に製本の下書きをワープロでしていました。それでも追いつかず、とうとう義祖母から「もう援助はゴメンだ、あんたには立派な母親が居るだろう」と言われてしまいました。

どうしたら良いのか。お金が無いと子供の紙おむつも粉ミルクも買えないし、本当に困ってしまいました。パパは毎日子供をあやすのが仕事で、なかなか本職を見つけてくれないのです。案の定、家計は破綻して、当時京都に住んでいた母親に頼ざるおえなかったのです。その時の条件は、借家を解約する事 (母が電話でしてしまった) と、パパに母夫婦の仕事の手伝いをさせる事でした。母達がしていた仕事は、フィリピンから来た女性達を一時寄宿させてあちこち斡旋するという胡散臭いものでした。つまりはパパは捕まった時用のトカゲの尻尾(食わせてその間に逃げる)というわけです。私は慌てて「大阪のパパの実家へ行って来る」と言って、パパと子供を連れて家に帰りました。その時私は完璧にノイローゼになっていました。

それからは母の毎日の電話攻撃に一週間でまいってしまい、解約の期限が迫って、慌てて布団袋に布団と洋服を押し込みパパの実家に送り、後は車に乗るだけ荷物を詰め込み、残りはリサイクル店に引き取ってもらい、前もって約束していた末弟の引っ越しを手伝い、末弟も便乗して大阪へ帰りました。パパ曰く、「今から思うと、解約のキャンセルをすればこんな事にはならなかった」らしいです。でも、母の行動力から言って、そうしていたらきっと母は説得に来ると思うのです。純粋だったパパには断る理由は無くて、きっと引き受けていたと思います。危ないところでした。そうしてパパの実家には事情が有って入れてもらえず、車上生活を1ヶ月してやっと仕事と住まいが決まり、安心したせいか私は半年間寝たきりになって30キロ体重が増え、動ける様になってからは毎日買い物に出て40キロ体重を減らしました。あれはうつ病だったのか、躁うつ病だったのか、今でもわかりません。

1月15日(木曜日)

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天気「寒くても冬の晴れ間に左義長へ」

最近流行の育児ノイローゼ、実は私もなりかかったのです。ウチの子はなかなかオッパイを飲んでくれなくて、一日中泣いてばかりいました。実は1ヶ月検診でわかったのですが、舌っ足らずで飲めなかった様です。それで、舌の裏の紐を少し切ってからは飲めるようになりました。(舌小帯短縮症) その上実家に居たのですが、兄嫁が陰口を言っているとわかって(私がおむつの洗濯をしないと…)、1週間で家に戻りました。帝王切開してやっと産んだのに、私の実家には両親が居なかったのでゆっくり出来ず、兄夫婦のご機嫌取りをしていた義祖母(母の養母)は、おむつの洗濯以外、何の役にも立ちませんでした。でも、おむつの洗濯だけは感謝しておりまする。<(_ _)>

1月14日(水曜日)

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天気「粉雪や牡丹雪降り冬景色」

私は両親の愛情知らずで育ちました。兄は義祖父母 (母の伯父夫婦で養父母) に可愛がられていましたから、泣くとすぐオッパイ命令が母に下りましたが、私にオッパイをやっている時はすぐ「いつまでやってるんだ」と怒られたそうです。いつも離れの一室に寝転がらされてばかりいましたから、泣いても誰も来てくれずお腹が空くと指シャブリしていました。だから私は甘え方の知らない、一人遊びの大好きな女の子に育ちました。年に1回お花見に両親と兄だけで出掛ける時は、いつも親にベッタリして写真に写っています。それも小学二年の時まででした。

7歳の時に弟が生まれ皆の関心は可愛い弟に向けられました。私は弟を逆恨みして、坂道で両手を乳母車から離してしまった事があります。その時ひっくり返って出来た傷が、まだ顔にうっすら残っています。でも、そうやっていつも一人で育って来たから、私が大きくなってからは母はよくしっかり者の私に甘えていました。

その母も父が追い出されてから2年後に、義祖母によって追い出されてしまいました。散々こき使われて捨てられるのですから、たまったもんじゃありません。とにかく昔から、誰も義祖母の命令に逆らう事は出来なかったのです。皆、義祖母に振り回されていました。実はその義祖母は精神の病気にかかっていたのに…。不思議な事に、義祖母に可愛がられた兄と弟は大人になってから義祖母の言う事に耳を傾けず、放ったらかしにされ小学生の頃からこき使われた私だけが、義祖母の愚痴を聞いてあげられました。

今、義祖母はどんな思いで老人ホームに居るのでしょう。母を追い出し、可愛がった兄夫婦によってホームに入れられたのです。想像もしなかったでしょうね。自宅で介護を受けられると思っていた様で、よく私に「頼むね」と言っていました。私も兄嫁の交代要員ぐらいならと思っていましたし…。まさか私がこんなへんてこな病気にかかるとは思ってもみなかったから、未来が変わったのかもしれません。それとも兄嫁は最初から義祖母の面倒を見る気は無かったのかもしれません。でも子供はきちんと見ています。いずれ、ご自分も同じ運命になるかも…。