1月16日(金曜日)

Guppy   2004年1月16日   1月16日(金曜日) はコメントを受け付けていません

天気「曇りでも雪よりマシかシャワー浴び」

えー、今日はこの土地から何故大阪へ行ったのか、お話します。

子供が乳児の頃、パパは何度も仕事を辞めてプー太郎になり、経済的に不安で義祖母 (母の養母) の援助を受けていました。そして子供を義祖母に預けて研修に通い、内職に製本の下書きをワープロでしていました。それでも追いつかず、とうとう義祖母から「もう援助はゴメンだ、あんたには立派な母親が居るだろう」と言われてしまいました。

どうしたら良いのか。お金が無いと子供の紙おむつも粉ミルクも買えないし、本当に困ってしまいました。パパは毎日子供をあやすのが仕事で、なかなか本職を見つけてくれないのです。案の定、家計は破綻して、当時京都に住んでいた母親に頼ざるおえなかったのです。その時の条件は、借家を解約する事 (母が電話でしてしまった) と、パパに母夫婦の仕事の手伝いをさせる事でした。母達がしていた仕事は、フィリピンから来た女性達を一時寄宿させてあちこち斡旋するという胡散臭いものでした。つまりはパパは捕まった時用のトカゲの尻尾(食わせてその間に逃げる)というわけです。私は慌てて「大阪のパパの実家へ行って来る」と言って、パパと子供を連れて家に帰りました。その時私は完璧にノイローゼになっていました。

それからは母の毎日の電話攻撃に一週間でまいってしまい、解約の期限が迫って、慌てて布団袋に布団と洋服を押し込みパパの実家に送り、後は車に乗るだけ荷物を詰め込み、残りはリサイクル店に引き取ってもらい、前もって約束していた末弟の引っ越しを手伝い、末弟も便乗して大阪へ帰りました。パパ曰く、「今から思うと、解約のキャンセルをすればこんな事にはならなかった」らしいです。でも、母の行動力から言って、そうしていたらきっと母は説得に来ると思うのです。純粋だったパパには断る理由は無くて、きっと引き受けていたと思います。危ないところでした。そうしてパパの実家には事情が有って入れてもらえず、車上生活を1ヶ月してやっと仕事と住まいが決まり、安心したせいか私は半年間寝たきりになって30キロ体重が増え、動ける様になってからは毎日買い物に出て40キロ体重を減らしました。あれはうつ病だったのか、躁うつ病だったのか、今でもわかりません。