12月22日(水曜日)

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天気「どんよりと雲におおわれ雪近し」

パパの居ない日中は火を禁止されているので、朝からインスタントラーメンを作って食べたら0.4キロ増えて59.1キロになってしまいました(泣)。哀しー!!

久しぶりのシャワーなので、頭を洗ったらどんどん抜け毛が落ちて、何とか身体も洗ってやっとお風呂場から出たら腰が痛くて立てませんでした。すでにシャワー浴びるコールをしてから45分、そろそろパパが心配して電話をかけてくるのではないかと思っていたら、本当に電話がかかって来ました(苦笑)。「今上がったところ、腰が痛い」と言ったら「温かくしておきや」と言って電話は切れました。うーん、どうやって温かくしたら良いのだろうか。

腰痛、どうやったら治るのかな。これまで痛くても我慢して仰向けに寝ていたけど(眠剤が効いて寝る事は出来る)、パパは横向きが良いと言う。検索したら、パパの言う通りだった。横向きでエビの様に寝るんだって。今晩試してみようっと。では、お休みなさい。

<追記>あ、そうそう、電子ピアノだけど、私が理想とするタッチと音質を求めたら50万だって。安いアップライトが買えるよ。別にまたピアノを教える気は無いので(実際出来ないし)10数万の電子ピアノで十分。それ以上望んだらバチが当たるよ。どんなにお金に困っても今度は大事にしないとね。って、まだ買っていないんだけど(爆)。

12月20日(月曜日)

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天気「朝は雨昼から晴れて青い空」

寝方が悪かったのでしょうか。昨日の朝から腰痛になりました。腰が90度に曲がったままです。立ち上がったり座ろうとした時に激痛が走ります。もちろん、真っ直ぐには立てません。パパによく効く湿布を貼ってもらいましたが、まだ治りません。昨夜は床の中で身体を真っ直ぐにして寝られる様に、痛みに負けそうになりながらも少しずつ身体をずらしました。お陰で今日は激痛にはならなくなりました。まだ痛いし身体は伸びませんが。何とこの腰痛、今年の6月と11月にもありました。どうやら完治するのに3日から5日はかかるみたいです。今日は今年最後のプラスチックゴミの日なので、パパに持って行ってもらいました。明日の燃やすゴミの日も頼むつもりです。

先週の診察日にも言いましたが、もう1週間以上シャワーを浴びていなかったので、今日こそ浴びなきゃと思ったのですが腰痛になってダメになりました。前に浴びてから今日で10日経ちます。それでも浴びる気にはなれません。ま、浴びる気があっても今の状態では無理ですが(苦笑)。

これ、11年間ずっとなんですが、発病してから全く譜面が読めません。昔、ピアノ教師をしていたにもかかわらずです。この事を先週の診察の時に医者に話していたら、医者が初耳だったらしく「エッ、そうなの?」とビックリしていました。先生は、その部分の脳がどうのこうのとブツブツ言っていました。で、何でそんな話になったかと言うと、You Tubeでクラシックを聴いていて急に弾きたくなって、でも楽器が無かったのでピアノを買おうとしていた、という話からです。お金が無くてピアノは買えませんでしたがと言うと、ホッとなさったみたいです。同席していたパパが「電子ピアノでも買って弾いたらすぐに読める様になると思います」と言ったら、先生が「そうそう、読める様になるわよ」と安易に同調していました。電子ピアノといえども一生もの。私が望む音質とタッチにこだわると20万近くかかるのに、いったいいつ買えると思う?

12月10日(金曜日)

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天気「朝は雨夕方になり青空が」

今日はシャワーは浴びないでいようと思っていたのですが、二度寝で3時過ぎに起きた時あまりスッキリと目覚めたので浴びてみようかな、と思いましてシャワー浴びました。体重は58.3キロでした。そろそろ体重維持にしたいのですが、どうやったら維持出来るかがわかりません。普通の食事に戻したらアッと言う間にリバウンドしそうで怖いですし。いったいどうしたら良いのでしょうか。

突然ですが、私は中学一年の頃いつも隣りの兄の部屋から流れてくるビートルズが大好きでした。何故か私が好きになる曲はジョン・レノンではなくて、ポール・マッカートニーが作った曲ばかりでした。「ヘイ・ジュード」「レット・イット・ビー」「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」「イエスタディ」「イエロー・サブマリン」などなど。「ヘルプ !」はジョン・レノンとの合作でしたが。何故ジョン・レノンが嫌になったか、それはオノ・ヨーコと一緒になったからです。裸で2人してベッドに入っている写真やオノ・ヨーコと結婚する為に妻子を捨てたとかいう噂や、解散後のジョン・レノンの変貌ぶりが、子供心に嫌らしいものと感じたのでしょう。そんな私ですが、ジョン・レノンの「ハッピー・クリスマス~戦争は終わった~」だけは嫌いになれません。毎年12月になるとはどこからか聴こえて来て、それで「ああ、もうクリスマスなんだ」と思うのです。今日は他所の掲示板で「好きなクリスマスソングは」との記事を読んで真っ先に思い出したのがこの曲でした。どうしてこの曲が気になるのかはわかりませんが。

12月 9日(木曜日)

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天気「アラレ降り今日は1日雨模様」

昨夜、宇多田ヒカルのライブ中継が配信されていて、パパがパソコンで観ていました。そのアンコールの最後の曲で『time will tell』の伴奏が始まった時、すぐに私は鳥肌が立ちました。何故ならその曲は、私が発病した時に車の中のラジオから流れていた曲だったからです。それから私は飽きもせず毎日毎日寝ても覚めてもその曲を聴き続け、そうやって闘病生活1年目を過ごしました。その後もその曲を聴くと、胸が苦しくて張り裂けそうになり、泣きたいのに涙も出ない辛さを味わいました。『time will tell』は私にとって発病と父の死を思い出させる特別な曲なのです。今はもう聴いたからと言って涙する事はありませんが、思い出深いのは未だに変わりありません。

今日は起きてからずっと頭の中で音楽が鳴っていました。何の曲だったのかわからないので最近聴いているYouTubeを聴いて回ったら、何とベートーベンの『テンペスト』でした。そんな曲弾いた事無いのにぃ。YouTubeでやたら『フジコ・ヘミング』を掘り出して来ては聴きまくっているので、パパから昨日「様子が変だぞ」と言われました。パパが帰って来るのを待ってはその日発見したフジコ・ヘミングの話をするからです。昨日は、何とフジコ・ヘミングは「リストを弾くために生まれた」とヨーロッパで称されたほどのピアニストだという話をしました。リストと言えば、普通の指の長さでは到底弾けない曲ばかり。よく同時に弾けない場合、時間差で弾くテクニックを習いますが、そんな事をしている様には見えません。やはり毎日の練習で指が広がる様になったのでしょうか。

12月 6日(月曜日)

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天気「今日も晴れタイヤ交換また今度」

昨日はあまり暇だったので、YouTubeでフジコ・ヘミングのリストやショパンを聞きました。で、私ふと気付いたのです。どうやらショパンの「ノクターン作品9の2」が私のトラウマとなっているって。やっぱり発表会で弾けなくて頭ん中真っ白けになって途中で退場したのがずっと心に引っ掛かっていたんでしょうね。生きている間に何とか弾ける様になりたい、そう強く願っている事がわかりました。譜面を見ると短いしそんなに難しい曲ではなさそうなのに、おそらく原因は左手の鍵盤を飛ぶ伴奏が身に付かないままステージに立ったからでしょうねえ。ま、私のそんな気持ちがパパに伝わった様で、やっぱり電子ピアノを買ってくれるって。いつになるかわからないけど。私は他の患者さんみたいに縫い縫いや編み編みが出来ないので、ピアノが有ってヘッドフォンが有ったら1日中弾き続けると思う。 早くそんな日が来ないかな。

今日も朝寝してパパからの電話でお昼に起こされて、それからずっとお昼寝無しでYouTubeのフジコ・ヘミングを聞いていました。その中に「エリーゼのために」があったのですが、その「エリーゼのために」をあんなに情感あふれる弾き方で弾くのを聴いたのは初めてでした。ずっと練習曲みたいに弾いていたのは小学生の時に習ったきりだからでしょうか。まるでメトロノームで決められた通りに弾いていましたから。昨日、リストの「愛の夢第3番」を聴いた時、まるでバイオリンの五嶋みどりみたいに、いっぺんでとりこになってしまいました。他の人とは明らかに違う弾き方をしていたのです。その素晴らしさ、名前はテレビで見て知っていましたが、ちゃんと弾いているのを聴くのは初めてだったので、感動して何度も聴いてしまいました。

ピアノ教室をしていた頃、5年生ぐらいの男の子を教えていました。こちらへ引っ越して来る前までの先生が上手に育てられて、真面目で私とは違って毎日練習して来る子でした。親御さんは小学校を卒業したら止めさせるつもりだとおっしゃっていました。だから、ちょっとくらい良いかなと思って、ちょうど発表会の曲が仕上がっていたので試しに強弱を意識する様に教えてみました。言うなれば実験ですね。結局、発表会では悪い意味で目立ち過ぎて、楽器屋さんからは「すごい強弱ですね」と冷やかされてしまいました。どの子も単調にひいている中でですから目立ったのは当然です。また強弱をつけてから仕上げるまでの時間が思ったほど無かった事も失敗の原因の一つだったと思います。パパが言うには、私は白か黒か、1か0かの人間だから、強弱もフォルテとピアノだけ教えていたのではないかだって。うーん、そんな事は無いと思うのですが。ま、その後、私の方が大阪へ行く事になって教室は止めましたが。今から思うと教室の看板など上げなければ良かったと思います。私はもともと人に教える様なタイプではなく、どっちかと言うと弾いて楽しむ方なので、今度ピアノの有る生活になったら目一杯楽しんで老後を送りたいと思います。