6月13日(火曜日)

Guppy   2006年6月13日   6月13日(火曜日) はコメントを受け付けていません

天気「本日は雲一つ無い晴天に」

昨日まで3日間お通じが無かったので、今朝カマを飲んだ。するとお昼にはもうお通じが…。そして夕方にもまたお通じが…。またまた夜にも…。何とカマの威力のすごい事。もう飲むのは止めておこう。また出なかったら飲む事にして。

昨日はどうしても前日から続いている不愉快さが治まらず、お昼過ぎに息子が大学へ行って一人になったらようやく落ち着く事が出来た。ところがパパが帰ってきたらまたもとに戻ってしまい、だらだらと嫌々ご飯を作りながら文句を言っていたらまたパパを怒らせてしまい、「もうご飯なんか作らんで良い!!」と言って寝室にこもってしまった。息子も今はいらんと言うしどうしようと思ったが、賞味期限の切れる肉があったので、とりあえず今は休憩して落ち着いてからゆっくり作ろうと思い、茶の間で横になっていた。そうしたら、突然天岩戸から出てきたパパが「食べるかもしれんからご飯作れ」と言うので、のそのそ起きて作り始めた。すると、最近手伝った事の無いパパが「キャベツ切ったろか?」と聞いてきたので、「今日は切り方が違うので良い」と断った。

私はただ頑張って家事をしている私をほめて欲しかっただけなのだ。そう言ったら、「愛してると言ってとよく言うが、そんな事言えるわけないだろう」とか何とか。そうやった。この人は結婚する前に「幸せにしてくれる?」と聞いたら「そんな事わからん」と言った人やった。忘れていた。私はこの人にいったい何を求めていたのだろう。何も求めなかったら傷つく事もないのに…。

いったいどうすれば良いのでしょうか。パパの母親がほとんど歩けなくなって、何か食べ物を買って来てとSOSの電話が先日かかって来た。パパは私を連れてコンビニで適当におにぎりやお茶を買い、夜中だったが持っていった。その時見た母親のあまりにも年老いた姿にビックリしたのだろう。翌日、すぐ下の弟に電話して状況を言い、今後の事の相談をしたらしい。私が発病する前は、何度か同居した事があったが、結局まだ独身の末弟の所が一番気楽だと言って出ていった。すぐ下の弟の所も、家を建てた時にいつでも同居出来る様に部屋を用意していたが、嫌だと言って絶対に行かなかった。そして末弟と同居していたが、いつも一緒にいるとすぐ喧嘩になって殴られるので、母親は一人暮らしを始めたのだ。そうしてお互い機嫌の良い時だけ行ったり来たりして生活していた。だから母親は末弟の機嫌が悪くなるのを恐れて、うちやすぐ下の弟には来てくれるなといつも言っていたし、また、たまにうちへ来る時は末弟には内緒にしてくれと言っていた。それほど溺愛してきた末弟だが、いつも仕事が長続きせず、辞めては母親のすねをかじっていた。その度に母親は食うや食わずの生活をして、生活費を切り詰めてお金を渡していた。だからだと思うが、まだ60代半ばというのにもう動けなくなったのだ。今は末弟が定期的に母親を医者へ連れて行っているらしい。そして週の半分は相も変わらず末弟の所で暮らしている様子。私はそのまま任せておけば良いと思う。好きでそういう暮らしを選んだのだから、自業自得ではないかと。でもパパはそんな私を冷たいと言う。パパの気持ちは違うらしい。便乗して10年も放っておいた自分を責めているみたい。だからっていったいパパに何が出来るのだろう。私という病人を抱えながら…。私だって発病前は、いずれ年老いて動けなくなれば長男のうちが面倒を見なければならないだろうと覚悟をしていた。でも病気になってしまって、今はもうそんな事は出来ないのだ。何も出来ないのに今更口だけ挟んだって末弟が怒るだけだろう。末弟が怒れば、その矛先は母親に向けられる。現に先日私達が行っただけで不機嫌になったと聞いたし…。昔から「兄弟は他人の始まり」と言う。結婚してしまった兄弟は当てにはならない。多分末弟もそう思っている事だろう。これからどうなるのだろうか。パパはいったいどうするつもりだろう。不安で不安でたまらない。