天気「曇り空ツツジの色が目に止まり」
日曜日の午後、半日説教されてしまった。私が○モンのコマーシャルを見て「あれを続けさせていたら変わっていたのかなあ」と言った事からそれは始まった。「普通校へ入学させても結局学校やめて今頃遊びまくっているわ」と言われた。そうかもしれない。行きたがっていた高専だったから卒業まで続いたのだろう。高専へ入ったばかりの頃、私がいつも高専をけなしていたとパパは言うが、過去の日記を読んでもそんな事で喧嘩した記録は…有った、一度だけ。入学してから1~2年ほど「何故私立の高専へ入れたのか」とパパと喧嘩していたらしい。でも息子がプログラムコンテストで賞をもらってからは納得して言わなくなった。ちゃんと態度で見せてくれたら、私だって納得するのだ。それを、いかにも5年間ズ-ッと私が文句を言っていたように思い込むなんて…。息子が高専に入学した時も一緒に喜んでいたではないか。私は何時だって喜んできた。国家試験に通った時も、成績が1番になった時も、賞を取った時も、今の大学に合格した時も、いつもいつも。
昨夜も夕飯食べて、さあ寝るかという時間になってまた口論になった。それでだろう、今朝はいつもより1時間も早いご出立で、朝ご飯んも食べず弁当もお茶も待たずに会社へ行った。もちろん一言も口はきかず。こんなのは初めてだ。昨夜は最終的に「息子の事はお前が責任取れば良い、俺はもう二度と父親ぶるのは止めにする」と言っていた。私は只「もしここが大阪で反対の立場だったらどうする?」と聞いただけなのに…。それがどうして息子を見捨てる話に発展するのかわからない。
あ~あ、こんな状態になったらもう夫婦関係の修復は無理かもしれないなあ。どうしても出来ないのよ『見ざる言わざる聞かざる』が。昨夜は「実家へ帰れば良い」と言われた。私が実家へ帰れないのを知っているくせに、わざと言う。日曜日の説教の中でも「お前は病気じゃない」と言われた。「ここへ越してくる時に、自分も働くと言っていたくせに」とも言われた。そう言わなければパパは重い神輿を上げなかっただろう。まさか子供が私立へ行くとは思っていなかったから、只いざとなったら私も働きに行けば良いやと思っていた程度だった。本当に働けなくなるとは思ってもみなかった。それは悪かったと思う。でも、働く働かないは私の意志ではどうにも出来ないのよ。それだけはわかって欲しい。