10月14日(木曜日)

Guppy   2004年10月14日   10月14日(木曜日) はコメントを受け付けていません

天気「今は晴れ昼過ぎからは雨らしい」

今朝の体重は67キロ。今のところ順調だ。今晩はカボチャを煮るので、食べ過ぎない様に気を付けなくちゃ。何せ、大好物だからな。それに「食べ始めたら止まらない」症候群にかかっているから尚更だ。作るのはパパが帰って来てから。それまでは料理を禁止されている。包丁を持つと指を切ってしまうし、皮むきしていても指まで皮むいてしまう。コンロは何度も鍋を焦がしたり沸騰させてこぼしてしまったり、あげくに火を出した事も有ったから…。何せ火を使っていても、待ち疲れて寝てしまう事が何度も有ったから仕方無いよね。何か有った時に瞬時の判断が出来なくてオロオロしてしまう。だからパパが帰って来るまでお料理は禁止。

あんまり退屈なので音楽を聴きながら、これを書いている。私がまだ中学に入る前にヒットしていた南沙織の「17才」が、最近のカバー曲ブームのせいか、よく耳にする。今も1989年に森高千里がカバーしたのを聴いた。この森高千里って人は才能が有るのか無いのかわからないが、変な曲になっていた。私はこの人の「渡良瀬橋」が好きなのだが、初期の頃のまだ売れていなかった頃の曲は変なのばかりだ。衣装もまるでバー○ー人形みたいだったし、作詞作曲を自作でさせると同じ歌詞とフレーズの繰り返しで、とても聴けたものではない。作詞だけ自作の曲は聴けるんだけどな、ドラマ風で。ドラムは叩くはリコーダーを澄んだ音色で吹くはでスゴイと思えば、反対に変な感覚が有るみたいで普通の人とは違うのだ。パパは「地味な女」が好きで森高ファンになった。この人がメジャーになったのは、今から10年程前に宅八郎と言う人がテレビで宣伝してくれたからだ。宅八郎無くして森高千里は生まれなかっただろう。それにしても宅八郎はどこへ行ってしまったのか。気持ち悪いオタクだったが、彼がファンだったお陰で森高はマイナー脱却出来たのだから…。

私が何故「渡良瀬橋」が好きか…。先ず設定の風景が私が大阪から帰って来て住んだ町と同じだったから。生まれ育った町、そして発病するまで住んでいた町。そして、子供の入学式に間に合う様に先に帰って来ていた私の元へ、なかなか会社止められなくて別居していたパパが、週末電車に乗って会いに来てくれてたところが歌詞とだぶって忘れられないから。(涙) あの頃は実家や近所から出戻りだと思われていた。実家の兄など私の話が信じられなくて何度も同じ事を聞いてきたっけ。義祖母(母の養母)の願いを聞き入れて、実家の持っているボロアパートに住んでいたのも誤解を与えた原因かな。後で入居してきた人など、家主の妹があんなボロアパートに住んでいたものだから、管理人と勘違いしていた。アッでも家主の妹でも他の住人達と同じく敷金礼金払って、毎月きちんとお家賃引き落とされていたんだからね。夫の身内は信じてくれなかったけれど。駐車場代まで払っていたんだよ。がめついね。それで生活していたくせに義祖母は私達夫婦を小作人扱いしていた。やれ柿を少し分けてやるからサッカーで忙しい兄夫婦の代わりに柿を採ってくれとか(5~6本有るんだよ)、駐車場の草むしりをしろとか、何かにつけて兄嫁に言えないもんだからウチに言ってきた。あげくの果ての兄嫁の「柿泥棒」発言だろ。ウチじゃ誰も柿等食べないのに、とうとう切れたパパがもうしないと決めて、私も腰痛を押してまでしても甲斐がない実家にあきれて段々しなくなった。今頃どうしているのやら。シルバー人材にでも頼んでいるのかな。祖父が丹誠込めて整えていた庭も荒れ放題だろうな。どんどん寂れてゆけばいい。それが二親を次から次へと追い出した家にふさわしい結末だろう。