5月13日(月曜日)

Guppy   2019年5月13日   5月13日(月曜日) はコメントを受け付けていません

天気 「青空の 下でツヅジが 咲き誇り」

昨夜1時過ぎに就寝、今朝4時15分に起床。パパに聞いたらOKが出たので早速起きてこの日記を書いています。昨日に引き続き今日も完璧な早朝覚醒ですね。と思ったら、いつの間にか座ったまんま6時まで寝ていました。パパが起きて来る音で目が覚めました。パパから「もう今度から聞かれてもダメと言うからな」と言われました。あーあ。というわけで、今日は中途覚醒でした。パパが出掛けたらゴミを出してから寝るかもしれません。食欲も減って朝からご飯が食べられなくてトーストを食べました。焦げちゃったけど、お焦げは大好きなのでかえって良かったです。

最近どこを走っても沿道にツヅジが満開です。それを見ると自分が発狂した時の事を所々ですが思い出します。

母と離婚して皆で家から追い出した父がガンでもう余命幾ばくも無いと聞いて病院へ兄弟とすっ飛んで行きました。年齢と病気のせいで昔の面影はあまりありませんでした。私は追い出した1人として近寄りにくく、離れた所から様子を見ていました。帰り道、兄弟3人でファミレスに寄って「もう1週間と保たないだろうから今後は各々なるべく見舞いに行こうね」という話になって家へ帰りました。ところが、帰ってしばらくして兄から電話がありました。今後は見舞いには行かない様にと。理由は、病院代や葬式代を出す事が出来ないからでした。実家の大蔵省である兄嫁の意向でしょう。もし、私が見舞いに行った為に病院代や葬式代を出す羽目になったら1/3払ってもらうからな、という内容の電話でした。我が家が貧乏暮らしをしているのを知っているくせに無理な金額を言って来ました。私は分割してでも払うと言って電話を切りました。

そして次の日、また次の日と、私は父に孫を見せてあげたくて、パパに運転してもらって息子を連れて病室へ見舞いに行きました。何も話す事はありませんでしたが、心の中では母と一緒に家から追い出した事を謝っていました。その間、帰って来ると毎晩兄から電話がありました。内容は同じです。私も同じ返答をしました。3日目でしょうか、ようやく息子を枕元に呼び寄せて直接会話をしていました。それを見てようやく役目を果たした様な気がしてホッとしました。そこへ弟が見舞いに来ました。私は弟が父と同じ大学を卒業した事を話してあげるととても喜んでいました。そして遅い晩ご飯を終えた頃、弟が家へ来ました。実家に居候していた弟も兄と同じ事を言って来ました。頼まれたのかどうかは知りませんが、まさか兄と同じ意見だとは思いもよりませんでした。弟は兄よりも私との方が仲良かったからです。そして、弟が「誰のお陰で結婚出来たと思っているんや」と言いました。その時です。私の頭の中がプツンと切れて景色が走馬灯の様になりました。

それからの事はあまり覚えていません。とにかく何日も眠れませんでした。眠れないので玄関で煙草を吸いながら、兄や兄嫁とテレパシーをしていました。テレパシーの中の兄夫婦は優しかったです。私は実家の近所のアパートに住んでいたのですが、兄嫁の一族と私の所属している勢力との争いにパパや息子を巻き込んではいけないと思い、引越を計画しました。パパの仕事が休日になるのを待って、パパに引越を頼みました。お金は私名義の貯金が有ったのでそれを使いました。パパの弟にも引越をしたら働くつもりと言って保証人になってもらいました。新しいアパートは日曜日に決まりました。

契約書を書きに不動産屋さんへ戻った時、偶然弟がその不動産屋さんへ入って来ました。私は驚き椅子から飛び上がって誰かの後ろにかくれました。その様子を見て私の異常に気が付いたのでしょうか、兄に電話をしたみたいです。家へ帰ったらちょうど兄から電話がありました。その時の私は記憶が退行して2歳児になっていました。大好きな兄の電話に幼稚な喋り方で返事をしてパパに電話を代わってもらいました。以上です。

ツツジは私に実家を思い出させるのです。実家には前庭にも奥の庭にもツツジが植えてあったからです。だから、ツツジが大っ嫌いになりました。普段は只の植木なので何とも思いませんが、この季節になって咲き誇った花々を見ると実家のツツジを思い出して今でも頭に血が上ります。きっと、認知症にでもならない限り死ぬまで忘れる事は無いでしょう。今日はここまで。