天気 「予報では これからずっと 晴れ続き」
昨夜はパパと、私が発狂した瞬間の時の話をしました。末期ガンと知った父の見舞いに連日パパに送ってもらって通っていた私。近所の実家に住む兄が、うちの車が駐車場に戻っているのを確かめてから、いつも決まった時間に公衆電話から電話をかけて来ていた。そこでパパが聞く「何故公衆電話で?」と。養子だった父はその年から20年近く前に、祖父母や母から離婚を突きつけられて家を追い出されたので、父の事は「おばあちゃんには内緒だったから」と答えました。
電話の内容は、「もう見舞いに行くのは止めろ。そのせいで病院代がうちに回ってきたらどうする。葬式代は? そうなった時1人1/3としてお前は払えるんか」だった。「とりあえず立て替えておいて。少しずつ払うから」と毎日毎日同じ言葉を言い続けた。そして2日目か3日目、電話を切った時パパが「俺は払わんぞ。相談も無しにお前が勝手に決めたんやからな」と言いました。私にしてみたら突然パパと言う後ろ盾が無くなって、私は働いていないのにどうやって払おうと焦りました。そして最後に病院で弟と会った時、「後で行っても良いか」と聞くので「良いよ」と答えたその日、弟は私を説得に来たらしく「誰のお陰であんたら結婚できたと思っとるんや」との弟の言葉を聞いた瞬間、私の頭の中は子供の頃からの思い出が走馬灯になって、その後は万華鏡を覗き込んだ様な感じになり、それっきり後の事は全く覚えていませんでした(涙) だから、弟から「結婚式の写真を撮る時だけで良いので来てくれませんか」との連絡があった時までの1年間、全く弟を受け入れる事は出来ませんでした。
結局、父のお葬式は父の実家が出して、パパの話では「行く前にお義兄さんから「香典、兄弟まとめて出すから1/3の3万出して」と取りに来たので渡した」と聞きました。後で取りに来たのではなく当日に取りに来たそうです。だったら、コンビニで香典袋買ってパパの名字で別に出した方が良かったのにと2人で今頃になって気付き、「お互いバカ正直やなあ」と笑ってしまいました。「あの時、今のお前みたいに頭が働いていたらこんな事にはならなかったのに」とパパが言いました。でも、ここまで回復するのに20年以上もかかったのです。今更どうしようもなかんべ。
そういえば、発病する前に四柱推命で自分の事を調べた時、既にこの事は書いてありました。でもその時は何が起こるのかさっぱり想像もつかなくて、発病後、大分経ってから読んでビックリしました。あまりにもドンピシャリで。四柱推命、恐るべし。では。