1月16日(月曜日)

Guppy   2006年1月16日   1月16日(月曜日) はコメントを受け付けていません

天気「晴天に雪の残りも後わずか」

朝っぱらから息子と大喧嘩した。いつもの様にギリギリまでシャワーを浴びていて、大急ぎで服を着る息子。口はいつものごとく「お茶」と命令してくる。まあそれぐらい良いだろうとカップにお茶を入れてあげる。毎度の事だ。お茶を飲んで服を着終わった時間がちょうど8時13分だった。それをテレビで確認した途端、「もう一回シャワー浴びる」と言い出して、せっかく着た服を全部縫いでパンツ一丁になってしまった。いつもなら急げば電車に間に合うじゃない。みすみす見のがしては遅刻するに事になる。だから遅刻はダメと言った。そうしたら「じゃあ休む」と言い出した。私は大阪時代を思い出した。あの頃のパパは月に2回以上は休んでいた。とにかく寝坊すると休むのだ。代わりにお休みの電話をかけに公衆電話まで行ったら、いつも私が専務にぼろくそに言われてしまうのだ。嫌な思い出だ。それと重なってしまった。で、つい口を出してしまったのだ。「休むのも首、遅刻の多いのも首」と。

遅刻の多さは私の家系に似たのだろう。私の身内では、父も常習犯だし、兄も弟も甥っ子達も常習犯だった。私も中学時代は常習犯だった。父は退職するまで治らなかったし、兄は社会人になってから遅刻しない様になった。弟の事は知らない。時間にルーズでいつも食事の用意時に遊びに来ていた。でも祖母からはご飯は兄嫁が作っているのだから家へ帰してくれと、毎日の様に電話があった。それでそうしていたら、兄嫁は私が遊びに来ている弟に「ご飯も出さない」と陰口をたたいていたっけ。コソコソ陰で私に色々命令するわりには、その事から問題が上がったら知らんぷりを決め込む祖母。そして全ては私が非常識だと思われてしまう。これが祖母のやり口だ。弟も、聞かれてもきちんとそのへんを話してくれないから、兄嫁がそう思うのも無理はない。

おっと話が逸れてしまったな。結局、私が泣きの電話をパパに入れている間トイレに入っていて、それで落ち着いて出てきてまた服を着始めたので、また喧嘩になった。そんなんならたまには電車が着く前に待ち合い室で待っていたら良いじゃないか…と言った。じゃないとまた電車に乗れなくなってしまうじゃないかと。いっぱい反論された。でも内容は覚えていない。あまりのマシンガントークで聞き取れなかったのだ。最後に「カギ」とだけ言って行ってしまった。時間があるんならカギぐらい自分でかければいいのに…。そして私ははらわたが煮えくり返っていたので、またパパに電話した。パパに話を聞いてもらったお陰でようやく気持ちが落ち着いてきたのか、洗濯機を回したままお昼まで寝てしまった。目が覚めた時はもう完璧に忘れていて、パパからの電話にも「大丈夫」と言えた。でもこんな日は本当に学校へ行っているのだろうか。ちゃんと真直ぐ帰って来るのだろうか。2学期は遅刻11回と通知表に書いてあったけど、年明けからずっと遅刻する電車に乗っているみたいだし、そういうの全て記録として残るのに…、しっかりして欲しいよ。