天気「天気良し炬燵カバーの洗濯を」
今日は結婚記念日だ。結婚する前も色々あったが、結婚してからも沢山の苦難を越えて来た。今年で20年になる。この20年間色々あった。
パパがなかなか定職に就けなかった事、舅との絶縁、実母からの執拗な電話による私のノイローゼ、パパからの離婚話、引っ越し先が決まるまでの車上暮らし、4畳半+2畳に風呂無しトイレ共同生活からの出発、私の半年に及ぶ寝たきり生活、マンションに移りやっとまともな生活になった途端の私の手術、パパの仕事による酒浸りの日々、私の田舎への引っ越しとパパの転職、兄嫁からの毎日に渡る新興宗教への勧誘、電話帳から実母に電話番号がばれて始まった付き合い、実母夫婦の夜逃げの後始末、実家の義祖母との付き合い、忙しい兄夫婦に代わって柿を収穫しての柿泥棒扱い、3Kでのパパの末弟と姑との1年間に渡る同居、あげくに何もしない末弟と姑の引っ越しの手伝い、姑との確執、パパの不倫疑惑、実母が私名義と弟名義で口座を作りねずみ講に入会した事件の阻止、実父の末期ガン、兄嫁からの「二枚舌」呼ばわり、兄から毎日あった実父への見舞い禁止の電話、そして弟から「バカは姉貴だ」と言われ3日間不眠のあげくの発病。
それからの記憶はほとんど無い。その為日記の索引を作ったぐらいだ。この20年のうち、発病してからの6年間はアッと言う間に過ぎていった。発病した時は2才児にまで記憶退行した。いつの間にか実父は亡くなり、いつの間にか息子は中学を卒業して高専に入学し、とうとう最終学年の5年生になった。私は半年間の寝たきりを得て、半年間寝たり起きたりしながら畳が擦り切れるまでゴロゴロしていた。そして今ようやく洗濯と夕食の後片付けが出来る様になった。よくぞここまで回復したものよ。主治医に感謝である。
20年、長いなあ。誰も私でさえもここまで続くとは思ってもみなかった。結婚してすぐに子供が出来て、この息子の存在が私達を結びつけていたのである。離婚話が出た時は、子供を連れて実家へ帰ったら子供が兄嫁の子供と差別されるのではないか、私が再婚したら子供は邪魔者扱いされるのではないか、そう思って結論としては実の父親が居た方が子供にとって一番の幸せではないかと考え、無理矢理パパについていった。それで良かったのか悪かったのか。多分良かったのだろう。少なくとも息子は今幸せだと言っているのだから。
昨日も掃除の出来ない私の代わりにパパが掃除機をかけてくれた。仕事から疲れて帰ってきているというのに…。ありがたい事だ。喧嘩も多いけれど、多分私は幸せ者なんだろうな。実感は無いけれど客観的に見て…。
4日ぶりにまたお通じがあった。急にお腹が張って痛くなってトイレへ行ったら出た、出た。これは胆のうが無い為かなあ。胆のうって油の分解をしてくれるところって医者は言っていた。今日の夕飯にじゃがバターを食べたから、油の分解が出来なくて下痢にまでなったのかな。だとしたら、これからは本当にカマ (酸化マグネシウム) は要らないね。