天気「雨止んで濡れた地面がいと寒し」
土曜日はあまりの天気の良さにテンション上がって風呂掃除を半分だけした。残りの半分は年末にパパがしてくれるだろう。「5分でこすらずに」と書いてあったが、30分はおいておいた方が綺麗になった。それでも軽く歯ブラシで目の間をこすらなくてはいけなかったが…。やっぱ1年分の湯垢はものすごい。あまりの天気の良さでガラス窓も拭きたかったが、パパに「テンション高い」と止められて止めた。息子も「今しても1週間も経たずに汚くなるよ」と言うので仕方が無い。うちは目の前が大通りなので埃がスゴイのだ。
日曜日はパパが床の黒ずみを取って拭き掃除して、電灯の笠を拭いて掃除機をか�ッていた。私は何もしないのもなんだからレースのカーテンを洗濯した。綺麗に見えていたけれど埃がすごかった。息子も感化されて自分の部屋の掃除をした。息子が掃除出来るなんてビックリだ。普段何もしない人だから出来ないのかと思っていた。出来るってわかっただけでも安心した。そうしたら突然気が付いたのかずっとシーツを洗っていないので洗って欲しいと言われたが、もう夕方で乾かないので却下した。でも考えてみたらコインランドリーで乾かせば良かったんだ。私が部屋に入ると必ず何か壊すので(お腹が出ていて下が見えなかった)入室禁止になっていて、もう2~3年入っていない。と言う事はその間布団カバーもシーツも洗濯した事が無いという事だ。オーマイゴット。今年はもう晴れの日は来ない。いったい何時洗えば良いんだろう。
今日は父の命日だ。お線香をあげお経を読む。思えば今の夫ぐらいの歳になって家から追い出されたのだ。どんな気持ちだっただろう。母にくっついて一緒に追い出した私は親不孝者だ。だから行方不明になっていた父が末期ガンだと聞き、私は毎日良い子ぶってお見舞いに行っていた。孫にあたる息子を連れて…。その頃の私は八方美人で誰にでも良い子ぶっていた。でも兄嫁が兄に入れ知恵して、お見舞いに行くと葬式代を出さなければならなくなると言う話しになって、私に毎日見舞いに行くなと脅迫してきた。「見舞いに行ったせいでお金が要る様になったら三分の一出してもらうぞ、それでも良いか」と言われた。うちは貧乏なのでお金の事を言われると正直辛かった。でもそれでもまだ良い子ちゃんだった私は見舞いに行くべきだと思って、「良いよ、何年かかっても返すから出しといて」と電話を切った。するとパパが怒った。「勝手にそんな大切な事決めて俺は知らんからな、お前自分で何とかしろよ」と言われた。それで八方塞がりになった。次の日、唯一わかってくれると思っていた弟から、「馬鹿は姉貴だ」と言われた時私の中の何かがプツンと切れた。その日から眠れなくなり、私は発病した。結局病院代も葬式代も、父の遺品を整理していて出てきた通帳で全てまかなえた。喪主は伯父がなった。伯父は只単に父に子供達を会わせてやろうと思っていただけだと思う。そしてせめて葬式ぐらいは子供達の手で出してやるのが良かろうと思っていただけだと思う。それを勘ぐって…、嫌らしい話である。後日、伯父から父が孫に会えた事をとても喜んでいたと聞いて、私は見舞いに行って良かったんだと初めて思えた。それからは、命日の度に必ずお線香あげてお経を読み、息子の事をお願いしている。