7月13日(火曜日)

Guppy   2004年7月13日   7月13日(火曜日) はコメントを受け付けていません

天気「今日もまた一日雨かおつなもの」

今日も4時間で起きてしまった。夜はとにかく眠剤でやっと寝ているのだろう。でも昼間も時々4時間近ーく寝てしまうのは何故?。身体が睡眠時間を覚えているのだろうか。不思議な事だ。

ところで最近は主治医の指導で漫画を読んでいたが、老眼の様にピントが合わず読みにくいの何のって、集中力が無いので飛ばし読みしている。「家栽の人」という本だが、主人公は家庭裁判所の裁判官で自然や栽培が大好きな人で、家裁に送られて来る少年達を花や木にたとえながら判決を下して行くと言うお話である。別に面白くはないのだが、家族にかまいすぎで衝突が起き、「それではいけない」と主治医に言われたからである。

私にとって子供は発病した時の中学2年のままなのである。でも現実にはもう大学生になっている年である。ただ高専なのでけじめがつかなくて、今もかまってしまう。夫にいつも諭されている。自分の時の事を考えてごらんと。私は兄と違ってまるで放っておかれた存在だった。それだけに自由を満喫したっけ。学校の帰りが9時になってもご飯が残っていただけで、一人淋しくご飯を食べていた。

兄は家の女共にかまわれて、無理して入った県内有数の進学校で落ちこぼれ扱いされて、毎日友達を連れて来ては麻雀三昧だった。勿論煙草は吸い放題。一度父がいさめたら、義祖母(母の養母)と母とで寄ってたかって兄を弁護し、結果、家でなら吸い放題になったのだ。よそで吸われて火事になったら大変だからと言うのが、その理由である。おかしな家だったと思う。父の方が正しかったと今になって思う様になった。

弟は父の次に母が追い出された中学生の時から笑わなくなった。そして学校では毎日呼び出し放送が有って、説教を受けていたらしい。小一の時からのスパルタ塾のお陰で、成績は悪くなく、楽々に兄が担任に反対されても母がごり押しして受けさせた高校に受かった。そして兄が落ちた国立大に見事落ち、一年予備校に通いながら、高校時代に溜め込んでいた進○ゼミの添削課題を送り続けて、とうとう合格した。

私達の人生は、母の亡くなった実父が校長をしていた高校に進学し、父の出身校だったここ地元の国立大学へ行くのが決まりだった。中学で落ちこぼれた私は、女の子だったという事で公立高校ならどこでも良くて、最終的には地元で一番程度の高い短期大学へ進めば良かった。でも誰もその先の道は造られていなかった。だから弟は就職しようにもどうしたら良いかわからなかった。義祖母に頼まれて私が弟と話し合いする事になった。そしてやってみたかったログビルダーになった。簡単に言えばログハウスを造る大工さんである。そうそう仕事が有るわけでなし、結局はカナダでの修行が終わってから、普通の大工さんのお手伝いをしていた。何の為に大学を出たか意味が無いという事だ。大工になりたかったら、変なプライドが出来る前の高卒で修行に入るべきだったんだ。結果、結婚した今では止めてしまい、小さな建築会社の営業をやっている。こっちの方が大学出た意味も有り、また性にも合っているらしい。ここまで来るのに10年も回り道したのだ。

私の感覚も上記に書いた通りである。だから理性では子供には好きな道へ行かせてやりたいと言いながら、感情では子供が今の学校へ行っているのを認めるのに3年もかかってしまった。染み付いた垢はなかなかとれないものだ。再来年卒業したら、その上の大学へ編入学する事に決まっている。その大学も、私の感覚では滑り止めで受ける私大で、志望校に落ちた者が行くところと思い込んでいた。最近になって、やっと地元の国立の工学部には無い学部が有って、その為に行くのだと納得出来た。でもまだ就職がある。子供の望んでいる仕事は県内には無いらしい。当然都会に住む事になるだろう。満員電車にも慣れないといけない。その為に来月、関東の実際の会社へ実習に行くらしい。寮生活だ。交通費以外自腹とのこと。コンピューターはお手の物だが、適度に怠ける事を早速先輩から教わって来る始末。おいおい、君は「フォレスト・ガンプ」を忘れたか。真面目にやってくれよ~。でも真面目にやっていたら私みたいな病気になるかもしれないし、難しいところだ。うーむ。