4月18日(火曜日)

Guppy   2000年4月18日   4月18日(火曜日) はコメントを受け付けていません

天気「花見にて一人亡き父偲ぶ会」

ちょうど1年前の今頃、世間はお花見でにぎわっていた。ただ我が家だけがそれどころではなかった。婿養子だった私の父が幾度となく祖父の逆鱗に触れたあげく、祖父母の秘蔵っ子だった兄が成人を過ぎたのを機に、とうとうお払い箱になって20年、ずっと行方不明だった。父の実家は何処にいるか知っていた様だが、知らない方がお互いの為と考えていたらしく、母が問い合わせても教えてはくれなかったそうだ。また、こちらの家ではその後すぐに祖父が死に、3才で養女に来た祖父の姪である母も祖母達にお払い箱にされ、跡を継いだ兄夫婦は父母を始めから居なかった者として二人の行方は不問に付していた。私もまた、無用の争いを避ける為にもそれで良しと思っていた。ところが突然父の実家から、父が末期ガンで余命幾ばくも無い状態との連絡が入り、私達兄弟は取り急ぎ駆け付けたのだが…。残念なことに、兄弟が一致団結して見舞ったのはこの日だけになってしまった。この日を境にして、私達は決別してしまったのだ。理由は、「それまで一度もつき合いの無かった父の実家(当たり前だ!)が急に連絡して来たのには何か魂胆が有るに違いない、これまでの治療費やらこれからの葬式代、あるいは昔お払い箱にした事に対する慰謝料の要求とか……」等と兄弟が言い出したから。それが事実だったとしても、まだ父は生きているのにそんな事を言い出した兄弟に、私は救い様の無い思いがした。「そんな事は亡くなった後に父の実家と話し合えば良いではないか!」と言ったが、「それでは遅過ぎる!!どんな要求をされても大丈夫な様に、今の内に対策を立てておかなければならない」と。せめて私だけでも最後に孫に会わせてあげたい(兄は子供達に実の祖父母の存在を内緒にしていたから会わせるわけにはいかないらしいし、弟は未だ独り者で子は無い)と思い、毎日一人息子を連れて見舞いに行っていたら、とうとう兄弟から脅迫されて屈せざる負えない状況に陥ってしまった。それが引き金になって私は発病し、そして父とはそれっきりになってしまった(南無)。その後、「お父さんが孫に会えた事をとても喜んでいたよ」と伯父から伝えられた事を思い出す度に、胸が詰まる想いがする。兄弟達は知らん顔してお通夜やお葬式や四十九日の法要に出席していたが、私には出来なかった。近々一周忌も有ることだろう。でもやっぱり私には出席出来ない。彼らは大人で、私はいい年をしていながら未だ子供なのかもしれないが、お金の話ばかりする法事の席に出るよりは、一人静かに父を偲びたい。病院の行き帰りに車の中から満開の桜並木を眺めていると、見舞いに通った3日間を思い出す。「おじいちゃんのお陰で今年はお花見が出来たね」と言って、車中から兼六園の桜を愛でた日を。