2025年1月4日「私事で大変恐縮でございますが本年をもちまして年賀状でのご挨拶は控えさせていただくことにいたしました」と書かれた弟からの年賀状が届きました。郵便受けの前で読んだ瞬間怒りが爆発して「何様やねん、生意気な」と腸が煮えくり返りました。とにかく何か知らんけど腹が立って腹が立って「生意気や、生意気や」と言い続け、何とかパパに怒りを解いてもらって、それでも怒りが収まるまで10日以上かかりました。
パパは10年以上前でしょうか、まだ弟一家が家へ来ている時だそうです。私の弟が「自分には自分にとってプラスになる人とそうじゃない人とがわかる能力がある。だからプラスになる人とは付き合うがそうでない人とは距離をおく様にしている」?という様な事を言っていたそうです。パパは心の中でビックリしたそうです。
それからは弟が来て何か喋っていても今も相手を品定めしているんだろうなといつも嫌な気分だったそうです。
だから、テレビで今年は年賀状を止める話題があった事と、弟一家は流行好きだし、それにお嫁さんの実家からも3年ほど前に似た様な意味の年賀状が送られて来ましたから、今年は年賀状を止めるという年賀状が来るかもしれないと言っていたそうです。私は覚えていないけど。
だからこの年賀状が届いた時、特にビックリはしなかったみたいです。反対に思っていた通りでウケたと言っていました。
本当はね、26年前、私の心を壊した張本人である兄弟とは一生会いたくないと思って住まいまで引っ越したのに、その1年後、私を壊したという自覚の無い弟に、結婚式の写真だけで良いから出てくれないかと言われ、仕方なく行って後は控え室にこもっていたのに、しかも医者からも「写真だけね。あとは無理だから」と言われていたのにもかかわらずパパに式場まで引っ張られ、そこで何も起こらなかったので安心したせいか今度は「せっかく来たのやから」と尻込みしている私を強引に披露宴会場まで引っ張り込んで、あげくにお嫁さんのご家族に失礼な事を言ったと言ってまた強引に連れて帰され、どこが失礼なのかわからないままその日はずーっとパパから怒られ続けて、翌々日パパが仕事へ行った隙に私は自殺を図りました。その時パパからは「なんや、当て付けか」と蔑まれました。
そんな事もあって、弟一家とは特に付き合いたく無かったのですが、その頃のパパは「せっかく来てくれるのだから精一杯もてなそうよ」と言うのでパパに言われるがままもてなしました。そうしたら毎年毎年やって来て、そしてある年お嫁さんの座っている所が丁度外気が入ってくる場所で、か細いお嫁さんはかなり冷えたのだと思います。何か話を中断して「寒い」と言いだしたので「何か掛ける物でも持って来ようか」と聞いたら「大丈夫、大丈夫」と言って息子さん達のコートを腰に巻いていましたから。それもあって来なくなったのかな。いや、一番の大きな理由は多分長男が公立高校に合格したのに気付かなくてお祝いをしなかったせいかもしれません。これって弟の言うプラスにならない人になるのかも。
その後コロナウィルスの感染予防の為に来なくなってようやく平穏な日々を取り戻す事が出来て、あちらもホッとしたかもしれませんが、こちらもホッとしていたのです。もう弟とは付き合わなくても良いんだと思って。そう、母の事が無ければ。
母の事に関しては、母の性格上何が何でも自分の思い通りにしたい、その為なら何だってするし誰でも利用する、そういう人です。私はあれだけ弟だけを可愛がっていたのだから、家裁で祖母と取り合いになったほどですし、そのまんま弟とだけ仲良くしていれば良いものを何で80も過ぎてから突然私の事を思い出したのでしょうか。20年以上も放っておいて平気だったくせに。
弟経由で手紙を送ってくるのは「それが嫌なら住所を教えろ」という意味です。さすがに手紙はご迷惑なのですぐにパパが受け取りに行きましたが、そのせいで弟夫婦やお嫁さんのご実家にまで冷たくされて「産んでくれただけで親は親。この親不孝者めが」みたいに思われて、いい迷惑でしたよ、本当に。まあ、私は母のこの遣り口はよくわかっていたので、その手には乗りませんでしたが。それに本当の親不孝とは親より先に死ぬ事で、以前一度死にかけた事があって、あの時死んでいれば良かったと思う事がこのころ何度もあって辛かったですね。
さて何故私が住所を教えるのをこんなにも嫌がったか。それは、以前母が私の住所を知っていた時、勝手に私の名前の印鑑を作って複数の銀行に口座を作ってネズミ講みたいなのに入っていた事があったからです。その口座を作った銀行からの連絡で知ってビックリして慌ててそれは私の口座ではないと言ってその旨を書いた手紙を書留?で銀行へ送った事がありました。その時作ったという印鑑は母から送ってもらいました。また利用されると困るので。まあまた作ろうと思ったらなんぼでも作れますが。
それからこれは何度も日記に書きましたが、母が昔付き合っていた人が私に1億円の生命保険をかけて、その時私の身代わりを立てて確かに自分の娘やと証言したのが母で、その理由を聞いたら私が家出中で見つからなかったからと言っていました。どこにいたかわかっていてもそんな保険入るわけないでしょ。そして、しれっと契約したのはその人なんだから受け取るのもその人で当たり前でしょう、ってそういう母親どこにいます?その人がもしお金に困ったら簡単に1億円手に入るじゃん。私とは赤の他人なんだし。その時から私は母に住所を知られると命の危険にさらされるかもと、母を信用出来なくなったのです。
今になって後悔をしたのは、弟に迷惑をかけたくなくてパパの電話番号を教えた事です。何故弟を介して電話番号を教えて欲しいと言ってきたのか、それは私の住所を知りたかったからです。案の定、パパの電話番号だけならと教えたら、即行「送りたい物があるから住所を教えて欲しい」と言ってきましたから。やっぱりねと思いましたよ。電話番号だけで済む話じゃないのよ。だから、頻繁に電話をかけてきても私は出ないし、弟を介して3回程手紙を送ってきても決して住所を教えようとしなかったし、最後はメッセージを使ってパパを何とか説得しようとしていたみたいです。
パパとしては初めは私と母を何とか仲直りさせたいと思っていた様ですが、住所を教えたら誰か知らない人(怖い人?)が来るのではないかという不安が沸き起こり、主治医からは毎日の様に手紙や電話を寄こしてきたらまた私の心が壊れるのではないかと言われ、パパは母とのやり取りでかなり神経をすり減らしたみたいで、もう電話番号を変えたいとまで言い出す始末で、パパには本当に申し訳無かったですね。でもお陰で、最後は母の方が折れて「旦那さんと幸せにね」との言葉で終止符を打ってくれたのでパパには本当に感謝感謝です。
それにしても、生前の母とはあんなに仲良くしていたのに、何故弟は皆と一緒に相続放棄をしたのでしょうか。あんなにも私の事を批難していたのに結局いざとなったら自分達も家族を守るのを最優先順位にしたのだから私と同じじゃん、と思いましたよ。何だか母が憐れに思いましたね。私への連絡も事後報告で、亡くなってから3日後、しかも既に直葬された後でしたから。
ま、これで弟一家とは縁が切れたと思ったらホッとしました。昨年は急遽喪中になったので、知っている親戚ぐらいは届かない方が良いだろうと思って年賀状を全部回収したけれど今年は盛大に出そうと思って、弟の所にも年賀状1枚ぐらいは出しても別に痛くもかゆくもないしと思って出したら届いたのがこの年賀状。年下のくせに向こうから縁を切るなんて小生意気な、と腹が立ったのですね。で、私パパに言いました。私が死んでも弟には連絡しなくて良いからと。これが本当の縁切りです。縁を切るなら徹底して切らないとね。
ではお言葉に甘えて生涯縁を切らせてもらいます。
令和7年4月15日
Guppy
