12月30日(土曜日)

Guppy   2023年12月31日   12月30日(土曜日) はコメントを受け付けていません

天気 「冬なのに 外暖かく 今日は晴れ」

気が付いたら只今夜の6時です。今日は何もしていません。1日You Tubeを眺めていました。お茶とみかんばかり口にして。いつものココアやキャラメルやサイダーも飲んでいません。飲みたいとは思わないのです。暮れなのに掃除もしていません。パパに丸投げするつもりです。買物も昨日行きましたが、大して買っていません。今晩は残り物で済ませるつもりです。

何の感情もわかないのはどういうものなんでしょうね。やはり統合失調感情障害だからでしょうか。つまりは感情の障害? パパが言うには、今の私は発病した時と同じ状態らしいです。

あの時は父が亡くなるとわかっていた時でした。父に孫を見せてあげたくて連日見舞いに行ったのですが、それを良く思わない兄弟に強迫されて、私の頭は子供の頃からの記憶が走馬灯の様に巡り、そして記憶を失ったのです。その後、父が実際に亡くなったと聞いても何の感情もわかなくなったのです。今回も多分次の診察日に先生に話をするまでは何の感情もわかないでしょう。もしかしたらこのまま感情がわかないまま過ぎていくかもしれません。どうなるのか先の事は想像も出来ません。今はただ胸が苦しいだけです。

それでは、ご機嫌よう。

12月29日(金曜日)

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天気 「予報では 曇りのはずが ずっと降り」

小雨降る寒空の中、パパは車の中をいじっています。母の訃報を聞いてから、食欲の塊だった私の食欲が無くなりました。心配しないで下さい。ご飯はかろうじて食べてます。只、途中で胸がいっぱいになって食べられなくなるのです。少し休憩をしたら何とか残りも食べられますのでご安心を。でも、体重を量ったら少し減っていました。おやつのパンとか見ても何の興味もわかず、みかんなら食べられるので2個ずつ食べてます。

実家の祖母が亡くなった時は希死念慮が出て本当に怖かったです。主治医からジブレキサをもらって何とかしのぎましたが、今回は全く希死念慮は出ません。パパに自殺予防の為、薬は全部金庫の中に入れて、その日の分だけもらっていたのですが、今は「もう金庫は要らないよ」と言うほどです。

只、食欲がわかない。それだけです。おお、忘れていましたが、涙も出ません。泣くという感情を失ったみたいに。これは父の時と同じです。あの時は、病院で睡眠薬をもらう時にお医者さんに「大変だったね」と言われて初めて大声でワンワン泣きました。あの時と同じ様な気がします。多分、正月明けに主治医に話をしたらそうなるかもしれません。

今日も母にお線香をあげました。結局、私達親子はこういう形でしか付き合いが出来ないのです。どうしても実家のしがらみがありますから。難しく考えずに普通に母とも実家とも付き合いしていた弟夫婦みたいに出来れば良かったのですが、私達夫婦は母の商売の手伝いを強要されてそれからずーっと母から逃げて回って、幕を引くのに35年かかったというわけです。生きている時は何故私が拒むのかわからなかったでしょうが、あの世から見下ろして今ならわかってくれるでしょう。そして私の病気がどんなものか、母が思っているよりも重いという事もわかってくれるでしょう。そう願って。ではご機嫌よう。

12月28日(木曜日)

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天気 「温かく 気持ち良いほど 晴れていて」

朝9時になりました。郵便局へ行って昨夜出したばかりの年賀状の全部を取戻ししようとすると1万円近くするので、結局私の兄弟と親戚だけ1件580円払って頼んで来たみたいです。とにかく今日からもう年末みたいにえらく混雑していたそうで、車の中で30分ほど待ちました。

それから久しぶりにJAへ行ってサツマイモや里芋、れんこん等を買って、お餅も買いみかんも箱買いして、サツマイモは今オーブントースターで焼き芋になっています。15分焼いてチンとなったらまた15分焼いてそれでも中まで火が通っていない場合はもう15分焼きます。これで焼き芋の出来上がり。パパは疲れてうたた寝をしています。私の事も心配しているし、普段付き合いの無い私の兄弟とも電話で話をして気を遣ったのでしょう。昨夜もあまり深く眠っていないみたいだし、一晩でげっそり痩せこけていましたから。

今日の電話で母の死因がわかりました。肝臓ガンだったそうです。86歳でした。あんなに100歳まで生きると豪語していたのに叶わなかったので、あの世から怒っている様に写真の顔が恐かったです。今お線香を上げて父と母の写真を見ると、ようやくお父さんとお母さんが揃って幸せだった子供時代を思い出しました。写真の中の母の顔も笑顔になりました。それではまた、ご機嫌よう。

12月27日(水曜日)

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天気 「曇り空 寒さ厳しく 明日は晴れ」

夜になって、パパが携帯で誰かにメッセージを書いていました。何となくチラッと見たら相手が私の弟だった様な気がして、夕食後「〇〇に何を書いていたの?」と聞いたらパパが「お前のお母さんが亡くなったそうだ」と。「え?」と聞き返しました。「24日の日曜日に亡くなって、直葬をお願いしたらしい」と。弟からのメッセージの用件は「兄とも相談して自分も相続放棄をするので一応費用は兄が出すから姉も一緒に手続きしてはどうか」との事だったらしい。ああ、またお父さんの時と同じだと思いました。あの時も兄夫婦は負の遺産があるのを前提に事を進めて、結局お葬式を出しても余るほど預貯金があって、それは子である私達が放棄したので寝たきりのお祖母ちゃんが相続したとの事でした。

今度は誰が相続するのでしょうか。母の甥も商売に利用されて借金を背負ってしまい、母だけがとっとと借金取りから逃げた経緯があって放棄するでしょうし、ま、そんな事はどうでも良いのですが、問題はもっと身近な事です。24日に亡くなったのならもっと早く言ってくれれば良かったのに、帰ってきたパパに年賀状を出してきてもらったばかりなのでどうしようと思いました。調べたら、28日までだったら回収出来るかもしれないけど、もしかしたら間に合わないかもしれません。パパは明日仕事の帰りに郵便局へ寄ってみると言ってくれました。そんな事もどうでも良い事なんですが、こういう事を考えたりしている間は泣かなくて済むので。って言うか、涙は枯渇しているのか出ませんが。

24日と言えば2つ目のクリスマスケーキを食べた日でした。パパが「きっと大好きなケーキをもっと食べさせてあげたいと思って食べさせてくれたのかも」と言い、いつもなら欲しくても我慢して買わない私にしては高価な財布を買ったのも「お母さんが買わせてくれたのかもな」と言うから涙声になってしまうじゃない。ふっと1度くらい顔を見せてあげても良かったのかな、とも思いました。でも、電話で声を聞いただけで過剰反応してしまうし、手紙を読んだだけであまりの身勝手さに嫌気がさすし、あんな人でも一応母親なんだと思ったのは、さっきパパに見せてもらったメッセージで私の誕生日をまだ覚えていたという点だけでしょうか。

母が亡くなったと聞いてすぐに思った事は、これでもう手紙が来る事は無くなったという事です。正直ホッとしました。冷たい娘ですよね。親戚からも「本年をもって年始のご挨拶を控えさせていただく」と言われましたもん。でも、息子が母の事を「お祖母ちゃん」と言ったのを聞いて「ああ良かった」と思いました。いつも私がひどい目に遭った話を聞いていたので、それでも息子にとってはお祖母ちゃんなのだから赤の他人ではなくちゃんと「お祖母ちゃん」と呼んでくれてホッとしました。

只今、明け方の4時です。亡くなったと聞いてから8時間経ちました。実家の祖母の時は亡くなったと聞いてからすぐに駆けつけて、帰る時も後ろ髪を引かれる思いをしたというのに、何だか今度は違う様です。パパが「落ち着いてから何処のお墓かお寺か聞いて連れて行ってあげるから」と言ってくれました。「但しあまりにも遠いので夜の車の運転は自信が無いから、お前の乗りたがっていた新幹線か飛行機かになるけど3人で行くとなると高いなあ」と。だね。

朝になりました。パパが起きて来て、私がご飯もお茶も忘れて用意していなかったのをきっかけに「今日は一緒に居た方が良いだろう」とパパお仕事を休んでくれました。一応忌引きにもなるしと息子が言うので。では、続きは今日の日記にて。ご機嫌よう。

12月23日(土曜日)

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天気 「大雪も ようやく止んで 青空が」

昨夜から凄かったです。大雪警報が出てしんしんと雪が積もる中、重機が来て一晩中除雪作業をしていました。いつもならそれで終わりなんですが、雪が止んだ今日もまだ日中作業を続けていました。屋根雪が落ちて来るので端っこを歩くのは気をつけないといけません。子供の頃、屋根雪が落ちて亡くなるって話をよく聞きましたから。

さて、今日は今年最後の診察日でした。パパは朝の6時から雪すかしをしていて、運の悪い事で今日に限ってレンタカーなんです。傷でもついたら大変なのでタクシーを呼ぶと言っていました。でもこんな日は裏道に入って来られないから無理やって言ったのですが、やっぱり断られていました。もう時間が無いのであきらめて結局レンタカーを運転して行きました。

いつもの駐車場へ入ろうとしたら、青空駐車場だったせいで中の車が埋まっていてJAFを呼んでいました。それを見てパパが「ここで降りて1人で頑張って行って。車を止められたら急いで行くから」と言われ、1人で何とか歩いて行きました。受付を済ませて椅子に座っていると、間無しにパパが来ました。ホッとしました。1人で診察は心細かったので。

今日は言いたい事が2つありました。最初に何度も倒れかかった話をしたのですが何の反応もありませんでした。次に私にしては財布や印刷済みの年賀状など絶対に買わないはずなのに買ってしまい、散財をしてショックだった話をしたのですが、まあ先生にしたらそれぐらい散財でも何でも無いと思ったのかもしれません。何の反応もありませんでした。先生もパパも2人して私の顔を見て「それから?」って感じで、他には何も話す事は無かったのでそれで診察は終わり。次に来るのは来年という事で何かスッキリしない終わり方でした。

正直今日の診察の感じでは、しばらくは先生の顔を見たくはなくなったので次回3週間後はありがたかったです。以上。それではご機嫌よう。