天気「とりあえず雪も無くなり外は寒」
昨日は生理2日目。日中上手にナプキンを取り替えられたと思って気を抜いたせいか、夕飯が終わってのんびりテレビを見ていたら、パジャマにも靴下にも漏れてしまっていた。慌てて着替えて手洗いして洗濯カゴに入れたが、もうこんな日は「早く上がってくれー」と思ってしまう。まあ、今日はもう漏れそうにないみたいだから良いけれど…。
息子が発病前の私の方が『教育ママ』だったと昨日言っていた。私は自分の母親がすごい『教育ママ』で、宿題の他に自習のドリルをやらなければ夜中の1時まで寝かせてはくれなかったから、息子には小学生のうちは勉強は学校でして家ではたっぷり遊ばせてやろうと思っていた。習い事一つくらいはさせたが、学習塾は反対していた。息子が中学生になった時、その事でよくパパともめたもんだ。パパは急に「塾の空気に触れるだけで良いんだ、それで勉強する様になる」と言い出し、私は「やる気の無い者が行ったって変わりゃしない、学校で授業を聞かなくなるだけだ」と言っていた。ところが息子の記憶の中では、私が塾へ行かせたがっていて、パパはそれを反対していたとインプットされているらしい。悔しかぁ。それから、弟が浪人中にたまっていた添削を全部やったら国立大に受かったからと○研ゼミを奨めたのも私なのに、息子の頭の中では「○研ゼミは取ってもしないから意味無い」というふうにインプットされていた。それで、○研ゼミを取ったのに息子は全くしなかったらしい。だから、息子は私が発病して良かったと言っていた。『教育ママ』にならなくなったし、パパは元々何も言わないので全くの放任主義みたいになってしまって、お陰で自分は早くから親離れ出来ただと。う~ん『教育ママ』と思われていたのは心外だったなぁ。でもある意味、私は『教育ママ』だったのかもしれない。躾にはうるさくて、うるさいのが大嫌いなパパとよく衝突していたし、大阪からこっちへ帰って来たのも、あのまま大阪に住んでいたら小学生のうちから近所の子に混じって悪さしそうだったからだし、今日日男でも簡単な料理ぐらい作れないとと思い、お使いさせたりお米のとぎ方を教えたりガスコンロの使い方を指事しながらインスタントラーメンを作らせたりしていた。なのにそれらは全て忘れてしまったらしく、私が病気になってからパパに教わって覚えたようだ。息子いわく「小学生のうちに仕込んでも無駄」だとさ。はーガッカリ。
息子の心中では、息子は働いている父親の背中を見て育ったつもりの様だ。息子が2才の時までは全く働かなかったパパなのに、そのせいでバブルの真只中だというのに月給10万の四畳半生活を余儀無くされたのに、なのに息子が物心つく頃にはすっかり真面目なサラリーマンになっていて、息子はその背中を見て育ったのだと豪語する。私は四畳半暮しのあの頃、多分うつ病になっていて、半年間ほとんど寝ていた。はっきり言ってあの頃の生活が一番苦しかった。そんな生活を覚えていないというのは、ある意味、息子は幸せかもしれない。