天気「秋雨やビショビショの中病院へ」
うちの息子の『おふくろの味』は、バー○ーヘルパーで作ったハンバーグとワカメの味噌汁である。私が発病するまでの13年間、私は節約する為に、安い材料で、とことん手間をかけた料理を作り続けてきた。なのに彼は全く覚えていないらしい。味噌汁も欠かさず色んな素材で作っていたし、ハンバーグなんかはソースまで手作りしていた。それなのに全て覚えていないなんて…。(涙)いかに思春期の記憶が大切かという事を思い知らされる。2~3年前から少しずつ料理を作り始めてきた時に、味覚オンチと料理の作り方を忘れていた事から、味付けをしなくても良い様に半インスタント物を利用していた。その一つがバーガー○ルパーなのだ。ワカメの味噌汁は、何も思い付かないし作るのも面倒だったので乾燥ワカメを入れた味噌汁を一時ずっと出していたからだ。作れる料理のレパートリーが少ないので息子は何を用意してもすぐに飽きて食べなくなった。おでんしかり、湯豆腐しかり、カレーしかり、お惣菜しかり、とにかく何もかもだ。毎回買い物に頭を悩ませられる。材料の宅配があるが、私には手の込んだ物は作れない。おまけにパパは好き嫌いが多くて、まずほとんど食べられないだろう。息子は喜ぶだろうが仕方がない。息子のお嫁さんになる人はその点助かると思う。食べ物に好奇心が強い子だから、何を出しても喜んで食べるだろうから。
昨夜、細木数子のテレビを見ていたら、母親が結婚も孫も認めてくれないと言う相談があった。私の母親も実はパパの事は認めていない。その証拠に今年5年ぶりに息子へお年玉を弟を通じて送ってきたが、その現金書留封筒の中の弟への手紙に、うちのパパが自分を親として敬っていないから私が親孝行しないのだと書いてあったからだ。自分が私に対してそれまで何をしてきたか分かっていないらしい。母は私の身替わりを立てて私に1億の保険をかけた事があった。発病前に母に確かめたら「そうよ」と認めていた。その保険の支払いも受け取り人も当時母と一緒に実家と裁判で争っていた社長だった。つまり私にとっては全くの赤の他人だ。その人がお金に困れば私はどうなっていただろう。それを思い出すと当時の恐怖感が襲って来て身震いする。あの時保険会社の本社から調査の人が来なければ私は全く知らないうちに殺されていたかもしれなかったのだ。社長はやくざとつながりのある人だったから。実際その後、母はやくざ達に監禁されていた事があって、物凄く怖かったと発病前に聞いていたし…。それから私が発病して引っ越す前にも、勝手に私や弟名義であちこちの銀行に口座を開きねずみ講に入った事があって、それもある一銀行から口座開設の礼状が来て初めて知ったのだが、身内を自分の利益の為に利用するからみんな去って行くという事にまだ気が付かないみたい。あの時はすぐに弟も私も各々銀行宛に速達を送った。「そんな口座は身に覚えがないから責任は持てない」と書いて…。私だって昨夜の様な番組を見たら母と連絡を取りたい。でもまた何かあったら、今の私では対処出来ないから連絡を取りたくても取れないのだ。危なくて…。ここで縁を切っておかないと、息子まで利用されたら困るもの。母が死んだら、生きている間出来なかった分だけ沢山供養するから勘弁して欲しい。(涙)
早朝から腰がだるく下腹が重いなあと思っていたら、朝っぱらからなんかお漏らしした気分。トイレへ行ってみると生理が始まっていた。びっくり!!まえのから35日目やわ。ちょうど良いから洗濯をした。今頃少し生理痛が出てきたかな。鎮痛剤でも飲んでおくか。今日は通院日だしね。
診察で、おとつい本を読み出してからほとんど寝ていないので頓服にサイレースを出された。今日もう読み終えたので明日からどうなるか、また眠り姫に逆戻りか…。