弟に言いたい事

2025年1月4日、弟から年賀状が届きました。「本年をもちまして年賀状でのご挨拶は控えさせていただくことにいたしました」と。

読んだ瞬間、またしても私は弟の言葉で頭の中が怒り狂ってしまいました。前回弟の言葉で発病した時はまるで走馬灯みたいになりましたが、今回は活火山が噴火して白い火山灰で頭の中が真っ白になりました。もう腹が立って腹が立って、偉そうに、何も知らないくせにと。以下は多分弟の知らない話だと思います。

あれは私が20歳頃のお正月だったと思うのですが、いつも母にくっついている詐欺師の男Aが、何故かその時はお座敷の上座に座っていました。話は男Aの息子と私を婚約させたという一方的な話しでした。
私は政略結婚ってこんなものなのかと特に何とも思いませんでした。小説にはよくある話でしたし。
後日、婚約指輪としてルビーの指輪を贈られました。これで本当に婚約したんだなと思いました。
一度もデートをしていないので、デートをしてきたらと言われ、飛騨高山か琵琶湖かどっかへ行ったみたいですが、当時の事はあまりよく覚えていません。
でも、しばらくしてお付き合いをしている女性が妊娠したので入籍したとのことで、この話はお流れとなりました。

すると、今度は母が私を男Aの養女にしました。1年間の期間限定でという約束で。
家庭裁判所へ行った時、裁判所の人が「そんな事をしたら遺産相続の時もめませんか」と男Aに言っているのを聞いてとても不愉快でした。
まるで私が財産目当てで養女になるみたいに思われて。
養女と言っても引っ越しするわけでもなく、生活の上では何の変化も無かったので本当に戸籍上だけの養女でした。
でも、約束の1年が過ぎても何も言ってこないし、2人とも気付いていないみたいなので、祖母に言ったところ有り難い事に私に代わって毎晩2人にやいのやいの言って大騒ぎしてくれたお陰でようやく戸籍を元に戻してくれました。

そしてこれは私がまだ21歳の頃だと思います。当時私は祖母と口論になって家出中だったのですが、その祖母から「あんた、1億円の保険に入っているのか?」と連絡がありました。突然の事でよくわからなかったのですが、東京から保険会社の調査の人が実家へ来て発覚したそうです。私は身に覚えが無いのでそう言うと、すぐに兄夫婦と祖母とでその保険会社へ乗り込んで行く事になりました。取り消してもらいに。
ところが、そこで新たに知った事ですが、男Aと母と私の替え玉とで1億円の保険契約をしていたという事でした。受取人は男Aで、母が替え玉を「確かに自分の娘」として証人していたと。だから、いくら免許証を見せて私が本物だと訴えても無駄でした。
それからは外出の度にビクビクもんで、後ろから車にはねられたらどうしようとか、自分の母親が証人になったのだから殺されても仕方がないかとか、諦めの境地でもありました。
そんなある日、実家から連絡があって、警察へ行く事になりました。警察で相談したら、何とか解約する事が出来ました。
その後、保険会社の人が菓子折を持って謝りに来たと祖母が言っていました。

母が良い目にもひどい目にも遭ったのは自ら男Aを信じる道を選んだからでしょうが、私は違います。母の娘だからという理由だけで巻き込まれたのです。母の子として生まれなければ命の危険にさらされる事は無かったのです。だから産んでくれてありがとうとは言えません。だって、今でも当時の事を思うと生まれなければ良かったと思う事ばかりですから。他にも色々ありますし、気の休まる日がなかったのです。

ただ、パパだけは一度は直接話をしてみたらと考えていた様です。それが神様から与えられた自分の役目ではないかと思って。でも私は自分があの世へ行くまで母はずっと生きている様な気がして、私が電話口に出ないのは私なりの復讐でした。ま、出たとしても声がうわずって冷静に話は出来なかったでしょうが。だから、亡くなったのは本当に晴天の霹靂でした。と同時に、ようやく次は何をされるかわからない恐怖から解放されて心底ホッとしたのです。この気持ちわかるか?

弟にとっては子供の頃から両親が居ない環境で育ったのは寂しかったことでしょう。でも、それと同時に命の危険を感じた事も無かったでしょ。だから弟からだけは、私に対して上から目線で説教されるいわれはないと思います。以上、これが今までなかなか言えなかった言葉です。もう会う事は無いと思いますが、お元気で、お幸せに。


もしも私が先に逝ったら、これをどうするかはパパに任せるつもりです。

     令和7年2月

                                      Guppy

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