4月1日(月曜日)

Guppy   2019年4月1日   4月1日(月曜日) はコメントを受け付けていません

天気 「とりあえず 土砂降り上がり 今は晴れ」

昨夜も私の母から電話がありました。パパはもう出たくないので携帯の音を消していました。その間に2度電話があったみたい。着信履歴で見つけました。嫌々電話をかけ直したパパ。「やっぱ出んときゃ良かった」と、後で言っていました。「医者とも相談したが医者も反対してるし、〇〇も電話に出たくないと言って電話がかかるだけで具合が悪くなる」とはっきり答えたら、人の返事を聞いていないのか、田舎から都会へ来るのは大変だろうから、こちらから会いに行くと言ってきました。その時はパパはっきりとした声で「来られても会いません」と答えました。電話がかかるだけで私がどんな反応をするのか言っているにもかかわらず、そんな状態で会えるわけが無かろう。最初に病気になった原因を聞かれた時のパパの返事が曖昧だったので、自分は原因ではないと思っているらしい。そのせいか、目上やという事で散々説教をするのでパパは閉口している様子でした。短気なパパは「もう少しで怒鳴りそうになった」と焦ってました。(@@;)

次回電話があったら、今度こそはっきりと病気の原因の1つに母が関わった保険金の事件の事があること、また何度かけて来ても私は出ないし会わないからと言って「これっきり電話をしないで欲しい」と言った上で着信拒否にして良いからとパパに言いました。ま、パパの気が重いのなら何も言わずに着信拒否しても良いし。

私はずっと電話にも出ないで親不孝をしているという罪悪感があったのですが、話を聞いた主治医が即行「電話には出なくて良い」と言ってくれて、私はホッとしました。もう悩まなくて良いんだと。それまでは「出るべきだ、出なきゃいけない、でも出たくない、出たらおかしくなりそう、どうしよう」といった考えが頭の中をグルグルしていて結論が出なかったから。

もう何年も前からですが、パパから何度か「本当は生きている間にもう1度会いたいのではないか。お父さんの時は亡くなる前に会えて良かったと言っていたじゃないか。もしそうなら車で連れていってやるから」と言われていたのですが、その時はまだ私の中では答えが見つかっていませんでした。実際に電話がかかってくる様になって初めて、パパとその話をする度に涙声になって平静ではおられなくなったのです。こんな状態になるという事は私はまだ母がやった事を許してはいないのだとやっと自分の心に気が付きました。生きている間は一切会わない、それが発病後20年を経てようやくつかんだ心穏やかな生活を守る唯一の方法の様な気がしてなりません。私は間違っているのでしょうか。