3月10日(木曜日)

Guppy   2005年3月10日   3月10日(木曜日) はコメントを受け付けていません

天気「今日もまた朝からずっと眩しい日」

息子と口論になった。原因はパン。うちは私が食べ物を一人で食べてしまうので、パパがいつも3等分に分ける様にと言う。ところが息子は食が細くいつも食べずに残してあるのだ。それを見て、過食気味の私は我慢できなくなり息子に「頂戴」と言った。いつもなら「ダメ」と言うのに、今日は珍しく「どうぞ」と言ったから食べてしまった。そうしたら「どうぞ」と言ったのは腹を立てて言ったのだそうだ。私がいつまでもしつこいから。でも目の前にパンやお菓子があると我慢出来ないのだ。それで食べては後悔し、太るは家族から冷たい視線を浴びるは、ろくな事無い。息子は食べたい時に勝手に食べるから、3等分しないでくれと言う。でも私からパパにそんな事言えない。絶対パパを怒らせてしまうからだ。息子は言う。「俺は小学生じゃないぞ。いったい何才だと思っているんだ」と。そう、もう19才になる。「今更無理して母親しなくても療養していれば良いじゃないか」と…。

今言われた事は「お母さんが19の時お母さんを必要としていた?」だった。そう言われて思い出してみると、特に必要は無かった。ご飯とお金を出してくれる祖母が居たから、別に仕事で居なくても平気だった。それからずっと母親を必要とする事は無かった様に思う。履歴書に親の名前があればそれで良いって感じ。でもパパは違う意見だった。母親役が居なければ雑用全部自分でしなくてはならないのだよと。そう、家庭に雑用は山ほどある。実際、私が入院中は息子がお米とぎ係だったし…。影が薄いけれど、そういう雑用というか家事をする人間が居ないと自分が全てしなくてはならないのだ。忘れていた。難儀な脳味噌だ。

ああ、中学校時代の息子を見てみたかったな。そう言うと、息子は「そうしたら俺はうざいって言っていたと思うよ」だって。そうね。反抗期だもんね。現実は、私が病気で家事一切出来なくなって、パパと息子と二人でご飯の用意をしていた。私はその与えられた物を食べるだけ。後片付けはパパがしていたっけ。

高校1年の時、私は部活で深夜まで帰って来ない息子を子供扱いして心配していた。でも私も部活で帰りは遅かったし、それが当たり前だと思っていた。さすがに息子の様に深夜になる事はなかったが…。コンテストが近いと仕方無かったもんね。2年になって、またコンテストが近付いて来ても今度は2度目だからそんなに心配はしなかった。チームの中心人物になっていたし、遅くなるのは当然と思っていた。そうやって少しずつ親離れしていったんだ。4月から5年生。過去の同級生達は大学2年になっているはず。そう考えたら、息子が好きでもないのに3分の1食べさせられるのは酷だろう。今度買い物の時、思い切ってパパに言ってみようか。3等分はもうやめようって…。