1月 8日(土曜日)

Guppy   2005年1月8日   1月 8日(土曜日) はコメントを受け付けていません

天気「牡丹雪昼から止んで青い空」

昨夜は1か月ぶりかで姑から電話がありました。パパは年末年始と電話をかけ続けたのですが、気が向かなかったのか出なかったのに。本当に極楽とんぼな姑です。お陰で私は気楽ですが、パパは昨年急激に年を取ったので心配しています。そんな子心、親知らずって感じですね。でも元気そうでパパはホッとしていました。

今日は午前中は精神科へ行って、お昼からは別の病院でC型肝炎の検査の日です。昼食と飲み物を抜いて来る様にとの事。どんな検査するのだろう。不安です。エコーは絶対するだろうな。体重は64キロ、覚えておかなくちゃ。

昨日は七草粥の日だったが、買い物に行ったのが遅くてインスタントしかなかった。パパはそんなのは嫌だと言って急遽コロッケになった。鏡開き用にあずき缶を買おうとしたらストップがかかった。作るならあずきから作れと。私は出来ないと言った。だったらするなと言われた。発病前の私ならどちらも一から作っていたが、今は手抜きしか出来ない。そう言ったら、出来ないものは無理してしなくて良いと言われた。今年の抱負は「素直に」である。私は子供の頃から素直になった事が無かったから、難しいけれどやってみた。やれば出来るじゃん。でもぜんざいは食べたいなあ。だけど作り方がわからない。忘れてしまったのだ。多分あずきを柔らかくなるまで煮て砂糖を入れて仕上げに醤油を垂らしていたと思うが、合っているのだろうか。普通は塩をひとつまみ入れるのだろうが、私の育った家では醤油を入れていた。パパ曰く「前は何も言わなくてもその時になったら行事物が出てきてた」と。お正月のお節もお彼岸のおはぎもお祭りのお寿司も全て手作りだった。でももう忘れてしまった。だから作れない。このまま一生作れないのだろうか。朝のお弁当さえ作れないのだから仕方がないのだろうな。何か淋しいね。私は何の為に生きているのだろう。結構行事物が生きがいになっていたのかな。無いとなると淋しい。

昨夜テレビを見ていたら、「うつ病になったのは子供の頃に子守歌を聞いていなかったからだ」と美輪明宏が言っていた。私もパパも子守歌を聞いて育った覚えは無い。だからこそ我が子には歌わなくてはと思い、練習して歌っていた。その甲斐があって息子は覚えていた。これで安心と思った。親の愛情を受けて育った子は決して非行に走ったりはしないだろう。パソコンとゲームで引きこもりがちだが、用の有る時はちゃんと出掛けられるし…。昨日も修学旅行用のパスポートを取りに行った。バスにはちゃんと乗れるし、行った事の無いところでも行けるみたいだし、もう安心だよね。来年の今頃は成人式だ。親の勤めは後は大学の費用だけだね。

病院へ行って来た。やはりエコー検査だった。私はC型肝炎ウィルス持続感染者(HCVキャリア)であって、まだC型肝炎は起こしていないらしい。今のところ何ともないが、ウィルスを退治したい場合は入院してインターフェロン療法と言うのを受けるそうだ。それでも4人に1人ぐらいしか効果は無いらしい。何故かと言うとそのインターフェロン療法が効くウィルスと効かないウィルスが有るからだ。それを調べるのに、まずDNA検査をするそうだ。七面倒くさいので、そこまでする気にはならない。でも、それが出来る専門の消化器内科のある総合病院を教えてもらった。そこなら精神科も有るし便利だとの事。セカンドオピニオンとして行ってみたらと勧められた。今日行った所がセカンドオピニオンのつもりだったのにな。よくよくその病院に縁があるのかな。そこは私が発病する直前まで父の見舞いに行っていた病院だ。大きな総合病院だから平日の午前中しか診察してくれないって。そんなものなのか。知らなかった。ところで、あの13~4年前の原因不明の高熱と異常な白血球の増加は何だったんだろう。医者は胆嚢炎を起こしていたのかもしれないと言っていた。実は今回のエコー検査で胆石が見つかって、大きさが3~4ミリの石が10個ぐらい有ったから。いつの事かわからないが、ある日突然右の肋骨の下が七転八倒するぐらい痛くなったら胆嚢炎で即手術との事。それが嫌なら全身麻酔して数カ所穴を開けてカメラで手術するという手があるらしい。今日は内科の診察を受けたが、これが外科だったらすぐ手術を勧められると言われた。痛くもないのにやなこった。