天気「今日もまた雲一つ無い秋晴れだ」
昨日、池田小児童殺傷事件の犯人、宅間守の死刑が執行された。判決からわずか1年という異例のスピードだった。彼は本当に妄想性人格障害者だったのか。だとしたら彼は常に妄想を持っており、だから誰も信じられない。医者さえも…。私も発病した当時、極度の妄想が有ったが、それならパパが、私が息子を殺すんじゃないかと思ったのは当然だったという事だ。私はそんなつもりは毛頭無く、反対に息子を敵のスパイだと思って怖がっていたというのに…。
パパ曰く、心の病だろうがそうで無かろうが、あれだけの事件を起こし、今もまだ後遺症に苦しんでいる子もいるのに、死刑が執行されるのは当然だとの事。彼は本当に死にたかったのだろうか。最後まで悪態をついていたらしいが、心の奥底では死刑が怖かったのではないか。週刊誌に手紙を送り数百万の収入が有ったらしい。獄中結婚もしているし、死にたければそんな事は出来ないと思う。死刑判決が出ても、いつかは減刑されると甘く思っていたのではないか。いや、それならば弁護士が勝手に出した控訴を自分から取り下げたりはしないだろう。やはり彼は彼で、自分の性格が手に負えなくなっていたのではないか。
どうなっても良いと諦めていたのではないか。どうしたらあんな事を平気で出来るような人間に育ってしまったのだろう。よく子供の頃から体罰を受けていたという。私も1ヶ月ほど息子に体罰していた事が有った。何故それが止められたか。それは、息子が自分で自分の頭を柱に連続でぶつけていたのを見たからだ。それで体罰をしてしまう元凶の宿題がある学習塾を、パパの了解をもらって辞めさせた。体罰は子供を萎縮させてしまう。そんな環境で育てば子供は曲がって育つだろう。ウチの子は大丈夫か心配だ。だが、パパ曰く「世界中の人間を医者に診せたら病人が山ほど出てくるのではないか」と。
そういえば、姑は夫から受けたドメスティック・バイオレンスで、少しおかしくなっている。それを見聞きしたパパもすぐ切れるし、姑ベッタリの末弟もおかしく感じるし、パパの方から見たら、私の兄弟も私もおかしく見えるらしいし、こうやって考えていると周り中おかしな人間ばかりだ。
ところで、昨日になってふと考えたのだが、私はもしかしたらもう病人ではないのではないかと…。洗濯も出来るし、クリーニング屋との応対も何とかこなせるし、買い物は夫の好みに任せてレジでは精算もちゃんと出来るし、こうやって文章も書ける。掃除はさぼっているだけだし、只、記憶力に自信が無いだけで…。一昨日も夫が脳神経外科にかかった事が有るというのが、全くと言って良いほど覚えていない。そう、そう言えば記憶力はほとんど無い。だから日記に何を書いたか「日記の目録」を作ってあるんだった。やっぱ病人だよね。
先週のゴミ当番の日もお二階さんと何年ぶりかで会い喋っていたら、今年引っ越して来たお向かいさんの名前を間違えて話して、ウチへ帰ってから失敗に気付き赤面だった。まだ呆ける程の年でも無いのに、これほど記憶に自信が無いのは病人の証だ。ほら、もう今思い付いた事を一瞬で忘れてしまった。これを病人と言わずして何と言うか。そうそう、やっと思い出した。お二階さんと話していて、いつも家にこもっている理由に「チョット持病が有って」と言ったら大概の人は「まあそうですか」で終わるのに、お二階さんは「どんな病気?」と聞いてきて、答えを用意していなかった私は慌てて、「内臓系?」という問いに飛びついて「ええまあ」と答えた。まさか脳みその病気とも言えないし、こんな時は皆何て言うのだろうね。