天気「立ち込める雨雲見ても心晴れ」
日曜の夜、いつも書込みしている掲示板へ行ったら、私宛の書込みが有った。相手の人は製薬会社に勤めているとの事。最近そこの掲示板で知り合った人で、専門家の人とは気付かなかった。その人の書込みを読んだとたん、突然鬱に陥り痛いほど胸が苦しくなって涙があふれて止まらなかった。その日は、録画していた映画「マディソン郡の橋」を観て、最後のシーンで半年ぶりに感情を伴った涙が出たので、内心喜んでいた矢先だった。今朝までのたった一日半で済んだが、昨日は家事も出来ない程七転八倒して一日中脂汗たらして寝ていた。そして夜になって、胸苦しさが消えたとたん今度は背中の肩甲骨の間が痛くて痛くて転げ回ったあげく、鬱の時と同じクサーイ屁を連発し始めた。これが出てきたら、経験上快復に向かっているとわかっていたから、(^。^;)ホッとしたが…、今朝ようやく起きあがれたので、今回の鬱を少し分析してみようかと思う。パパはただの波の一つだと言うが、その波を引き起こしたキーワードが有るはず。多分「感謝」という言葉なのだと思う。それから、まだ自己コントロールが出来るところまで快復していないのに、調子に乗って書きまくっていると思われていたのも、ショックだった。私はただ、そこの掲示板と管理人さんに助けられた事が有ったので、仕事で大変な時ぐらい感謝の意を込めて手助けしたかっただけ。当時の私の様に自信を無くし、生きる希望を無くした人達に、私が受けたのと同じ様に「大丈夫?、あなたは一人ではないのよ。皆がついているのよ」と言ってあげたかっただけ。以前、そこの管理人さんからメールで「そんな事していると潰れちゃうから止めるように、自分は何人もそんな人達を見てきた」という忠告をもらった事が有る。でも、私は物心ついた時にはすでにお節介屋で、おまけに雑草の様な人間だったから、潰れてもいつかまた立ち上がれるだろうと思いその忠告を聞かなかった。『Mood Disorder』のところの『原稿』を読んでもらえば私の生い立ちは解ると思うが、私は親に感謝した事が無い。子供が小学校に入り大きくなるにつれて、初めて母に「産んでくれて感謝している」と伝えたくらいだ。両親に同情はしていても「育ててくれて有難う」とは、今も思ってはいない。その「親への感謝の気持ちが私には欠けているのではないか」という気持ちが、ずーっと心の中に引っ掛かっていたから、その人の書込みの最後に有った「Keyになる言葉は、「感謝」です。」が、引き金になったのだと思う。でも昨夜になってテレビで元木大介と大神いずみの結婚式を、(‥)(: )(¨)( :)(‥)))))コロコロしながら見ていたら (人が幸せになるのを見るのは本当に良いもんだ。(=∩_∩=)こっちまで幸せな気分になる)、発病前に母が電話で、私が「小学生の反抗期の時に、いつも祖母から代わりに叱られていた」と言っていた事を思い出して、やっともう一つ感謝の言葉が心に芽生えた…。「庇ってくれて有難う」と。そしてブーブー臭い屁を連発して、朝起きたら鬱から完全に脱出していた。確かに管理人さんの忠告は聞くべきだったのかもしれない。私への書込みをしてくれた製薬会社の人も、私を心配して忠告してくれたのだろう。パパもそう言っていた。みんなに「大丈夫?」と聞いているうちに、引くに引けなくなって心身を消耗していたのだから。でも、私は後悔していない!! いつのまにか私を救ってくれた掲示板が荒れていくのを、黙って見て見ぬ振りは私には出来なかったのだから…。そこの掲示板は、ようやく元の「互いに励ましあう掲示板」になったから、もう私の出る幕は無いだろう。それで良いのだ。誤解する奴をいちいち気にして、手をこまねいているのは私の性に合わないもの。