9月19日(火曜日)

Guppy   2000年9月19日   9月19日(火曜日) はコメントを受け付けていません

天気「雨上がり午後には晴れて幸せに」

日曜日、予定通り弟夫婦が訪ねて来てくれました。思えば不憫な子でした。3才になって幼稚園へ入園したとたん、母が外で仕事をする様になりあまりかまってはくれなくなって…。3人目の子供で母も慣れたのでしょう。家には現役バリバリ主婦のおばあちゃんが居て (母の養母)、おまけに長女 (私の事) が小学校高学年になっていて、自分の代わりにアシストしてくれるので安心していたのでしょうね。ところがいろいろ有って祖父 (母の伯父) が亡くなる直前に父を離縁し、長男 (私達の兄) を結婚させて1年後には母自身が追い出されるはめになった。まぁ母にも落ち度は有るが、おそらく母にとっては青天の霹靂であったろう。何せ2才の頃から、実母から引き離される様にして『跡継ぎ』として貰われて来たのだから…。それだけに『跡継ぎ』意識の強い人だったが、いったい40年以上の母の人生は何だったのだろう…。「利用されるだけ利用され、用済になったらポイッと捨てられた」___後に電話で話をした時には、そんな想いでいっぱいの様子だった。その時、弟はまだ中学へ入ったばかりの難しい年頃だったと思う。あんなに誰からも好かれる明るい子だったのが、まるで存在の薄い無口な子に変化していたのに家族は誰も気付かなかった。私も兄にお嫁さんが来たとたん、せいせいして祖母のアシストの交代を独り決めして…、だから弟の事も兄嫁に任せて青春を謳歌しまくっていた。あの頃弟はどんな気持ちで過ごしていたのだろう…。一番『家』の犠牲になったのは、もしかしたら弟かもしれない。『親は無くとも子は育つ』を地でやっていた家。でも子供は親の背を見て育つものなのに、その親の背がある日突然無くなってしまったら何を見て育つのだろう。きっと弟の目には虚空しか見えなかっただろう。そう思うと、今になって私は「悪い事したなぁ」と後悔している。だから8年半前にこちらへ帰って来てから、ずっと罪滅ぼしのつもりで弟の母代わりをしてきたのだ。夫にバカにされながらも、何とか幸せになって欲しいと願って…。それで、結婚式で弟の幸せそうな顔を見て「あー、やっと自分の居場所を見つけたんだ。良かった。もう私の役目はお終い。後は夫婦二人でこれからやっていくのだから…」っと想ったら、もうグショグショに涙が溢れ出て止まらなくて…。一昨日来た時の弟はしっかりお嫁さんに甘えて、まるで迷子が母親をやっと見つけたって感じだった。お嫁さんの方も、そんな弟を愛しそうに撫でていた。今はまだ新婚2週間。子供が授かる日が来るまで、まぁ良いか。いつまでも一方的に甘えてばかりじゃ長続きしないけれど、もう口出しはしない。これからは二人で模索しながら生きてゆくのだから、私はお役御免です。o(^-^)o ツモ!!圃圃圃圃圃圃圃圃圃圃圃圃圃圃